Take_J

武盾一郎 · @Take_J

13th Oct 2010 from Twitlonger

『性的唯幻論序説』岸田 秀

要するに、西欧において最初に資本主義が発達したのは、キリスト教(むしろ、ユダヤ=キリスト教)の性文化が、本質的では内面で多少の変更を加えれば、資本主義的人間の育成に向いていたからであった。資本主義的人間とは、男に関して言えば、女のために、恋愛とセックスのために、自発的に一種の奴隷労働を悔いない人間である。(p350)

資本主義社会のセックスは、結婚関係においても売買春においても、惨めで見苦しく寒々しい貧困なセックスであった。(p366)

わたしによれば、人間が性交するのは、本能的行為でもなく、能力の発揮でもなく、愛の表現でもなく、趣味である。(趣味というのは性交を性交として行う、ということ。引用者注)

要するに、セックスをやりまくることが誇るべき男らしさの証明であるというようなかつての馬鹿げた観念に囚われてむりにがんばってセックスをするのではなく、お互いの恥ずかしい面がさらけ出される親密な関係の中で自我が傷つくのが怖くてセックスから逃げるのでもなく、セックスをしたいときに、自分と何らかの好意的関係にあってセックスの趣味も共通し、同じようにセックスをしたい相手とするのがいちばんいいと思うが、どうであろうか。(p415)


唯物論的な猫の日常生活より
http://thelonggoodbye.blog96.fc2.com/blog-entry-111.html

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