コメント連投するのも ページが重くなるだけなので、 twitlongerに投稿します。

本当にもう言い飽きましたが、 このページで取り上げているのは、 *単純化すれば*、 16日のデモが、 渡邉氏が最初のTweet(これが多段RTをされたり、例えば上のまとめに含めてあるmj23penny1さんの文章のようなものに取り込まれたりして回覧されている)で書いた通り、*「戦後最大のデモ」であったかどうか*なのです。

デモ当日の夜7時(ニュースの時間)の前に、「戦後最大なのに報道されない」としてツイッターで大きな話題となったということは、事実です。そして、「そもそもあなたがたが騒いでいるそれは、戦後最大なんかではない」ということです。デモを支持する・支持しないとはまったく関係ありません。キムタクがいい男かどうかは意見がいろいろあるでしょうが、キムタクがジャニーズ史上最も背の高いタレントかといえば誰だって「ノー」と言うでしょう。そういうことです。なのに「ジャニーズ史上最も背の高いキムタクが」などと書かれていたら、どうでしょう。キムタクのファンでも、そうじゃなくても「それは違う」と言うでしょう。

渡邉さんの最初のツイートの内容、つまり「日本において、5800人のデモは戦後最大級のデモである」は、論理学の用語を用いると、「偽」です。(これを「真」にするには、何らかの《条件付け》が必要です。そして、それが有効な形で為されていないことが問題なのです。)

日本で一定期間を過ごしていれば、ウヨサヨ関係なく、普通の常識と判断力があれば「5800人」が「戦後最大(級)」であるはずがないと3秒で判断できるはずです。

私は最初にTL上で「5800人のデモは戦後最大級のデモ」というのを見たときに、「58000」の最後のゼロが取れたのが回っているのだと思いました(このまとめの冒頭に書いたとおり)。しかしバズッターを見てみても、「58000人」とは誰も言っていない。それどころか、調べていくと、主催者は「3千人以上」と漢字表記で述べている。ということは「万」のオーダーではなく「千」のオーダーなのは確定。

誰でも知っている事実だと思いますが、「万」以上のオーダーの規模での「デモ」が東京ではいくつもありました(それが「2万」なのか「3万」なのかなどの説はあるにせよ、「千」のオーダーとは比較にならないということは明らか過ぎて、そんなことをいちいち説明している私はものすごい徒労感に襲われているのですが)。

3000なのか5000なのかはわかりませんが、「千」のオーダーであることは確定している程度の規模のデモは、「戦後最大」ではありえません。それについて、「戦後最大」と述べるということは、「ホッキョクグマは最大の哺乳類」と述べているようなものです。

つまり、それが「戦後最大」であるということを「真」にするために欠かすことのできない《条件》が抜けていることは明白です。

ある場合において、「*この動物園にいる中では*ホッキョクグマは最大の哺乳類」は「真」です。しかしその「この動物園にいる中では」という《条件》(前提)を抜かしてしゃべることはできません。例外は、その条件(前提)がわかりきっている人々の間での発話である場合(例えばその動物園に遠足に来た小学生に「この動物園の動物たち」を説明する園長の話の中である、など)。

「5800人戦後最大」の大元のツイートの渡邉氏は「単発としては」といった《条件付け》を後からしていますが(「後から」になった理由については詮索しません)、「単発」の意味は説明していません。氏とすれば「わかりきったこと」のつもりだったのかもしれませんが、ウェブ検索しても調べられず、Twitterで「急募」で質問を投げても一切反応がありません。このまとめのページでも「推測」は出るけど「ああ、その言葉ならこういう意味ですよ」という説明はでない。それじゃあ話は通じないし、そもそも定義が社会に広く知られていない語で範囲を作って「その範囲では戦後最大」と言ったって、スラングまじりでいえば、「俺定義で勝手に戦後最大認定している」ことにしかならない。

何となく「あれって戦後最大だったらしいよ」という印象だけばらまかれて終わる。

そして社会の大半の人々は、あまりのばかばかしさに、相手をしない。デモをやった側に共感を覚えていて、なお、「戦後最大はない」と冷静な指摘をした人を「敵」認定して、そして閉じた中で「あれって戦後最大だったらしいよ」という曖昧な「フィーリング」だけが保存され、次に繋がっていく。

今起きているのがそういうことだからこそ、スルーせずに時間割いているんですが、もう本当に、もういいかげんに、これで終了とさせてください。同じことの繰り返しが気持ちよいのはミニマル・ミュージックだけです。

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