郷原 死因の問題に検察官が関わるのが変死体、つまり、犯罪による死亡かどうかが明らかではない死体について行う検視です。検視は検察官の権限とされているのですが、実際には、代行検死という形でほとんどは警察がやっています。代行検視は、本来、検察官の指示を受けて行うべきものですが、中には、先に警察官がすべてやってしまって、ほとんど終わってから連絡してくるということもあります。検察官による検視というのは形骸化しています。
海堂 検死の権限は医師に与えるべきですね。警察官だって、検死官に育てるためには相当の研鑽が必要です。現在、専門の検死官は、全国にたった120人しかいませんし、検事が行っても判らないのですから。
郷原 唯一、検事自身が直接検死をやらざるを得ないのが、留置場とか監獄内で在監者が死亡した場合です。しかし、検事が直接死体を見たところで、死因はほとんど何も判りません。なぜ、検察官が直接検視をしないといけないかと言えば、警察や拘置所などで在監者に対する暴行・虐待などの犯罪が行われて死亡したのではないかを検察官が直接確認する必要があるからです。検視は、死因を解明するというより、犯罪死であるかどうかを明らかにするという意味なのです。
海堂 ですから検死は医師がやるような制度に組み立てていかないと、「死因不明社会」の解消にはならないのですね。
郷原 死因というのを市民社会の観点から見るとそうなります。「検視」という、犯罪死であるかどうかを明らかにするための刑事訴訟
法上の制度が「検死」という言葉に置き換えられて、一般的な死因の解明と混同されているところに問題があります。海堂さんが言われている「死因」というのは、犯罪死かどうかを明らかにするということだけではなくて、すべての個人の死因そのものを明らかにするということだと思います。それが、「検死」という曖昧な言葉のために、刑事手続の中に埋没してしまっているのです。
海堂 つまり、市民社会のことは考えてないということですね。
郷原 死因を刑事司法の視点だけから見ているということです。犯罪死だということが明かなときには、警察がそのまま犯罪捜査の手続でやっていきますから、検察官の検視の対象にはなりません。犯罪死かどうかがはっきりしないときには、刑事事件の全面的な処分権限を持っている検察官が判断しないといけないというのは、刑事司法の正義という考え方から出てくるのです。検視が検察官の権限にされているのは「刑事司法の正義」というところから来ているのです。そこでの正義は、「犯罪が存在している限り、それを刑事事件として処理する権限はすべて検察官に属する」という考え方の下で、検察に独占されているのです。刑事司法の正義を担っているのは検察官なのです。
そういう検察が独占している「刑事司法の正義」というのが絶対のもので、市民社会における死因解明とか医療の世界で死体をどう扱うかというのは、その正義に反しない範囲でやれば良いというのが、刑事司法の側から見た死因のとらえ方です。

Reply · Report Post