【101117 カレル・ヴァン・ウォルフレン氏講演 日本記者クラブ主催】
文字起こし全文 第一幕:≪アメリカとともに沈みゆく自由世界≫

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏
「みなさんこんにちわ。本日このように私は呼ばれまして出席することが出来る事は大変うれしく、また名誉な事でございます。しかも皆様方は天気が悪いのにもかかわらず、これだけ大勢集まっていただいたという事に本当にうれしく思いますので、ベストを尽くし皆様をがっかりさせないように努力をいたします。


 私の話は、本当は何か楽しい事をお話しできればよかったですが、残念ながら私の本の初めのところで『我々は今、悲劇に見舞われている』とあまり楽しくない話からスタートしております。この悲劇というのは『アメリカがいわば変身をした』と。すなわち世界における役割がアメリカに関して変わったというところから解き起こしております。しかもその『変化』というのが『変身』が悪い方に変わっているという事を私は言っておりまして、だからこそ世界はそこに注目しなければいけないと私は書いております。


 それからまた私が語るストーリーというのは人々がなかなか信じられないと思うということ。私が育った時に周りにいたようなオランダの人達にも信じ難いと感じているようですし、オランダの人も他の世界の人もまた日本の人も、そのストーリーというのは信じ難いというふうに思われるものです。


 どうしてこういう事を言うかというと、私は来年70歳になりますけれども、私の世代、それから私に続く二世代くらいですか、我々が育った時の周辺の政治教育というのは、アメリカに対する見方というのがアメリカは良き力なのであると、アメリカは世界の秩序を守る力であり、しかも自由世界の生存を保障してくれる、保護してくれる力なのだと信じて育った世代であります。


 この『free world』、自由世界の言葉自体は一般論としてはもはや使われない言葉です。自由世界という言葉が使われましたのは共産圏、あるいはある種の専制主義的なシステムがあって、モスクワがそれを指導していると、そういう体制があってそれに対比する形での自由世界という形で呼んでいたわけです。自由世界にとっては共産主義というのは脅威であり、民主的な先進国にとっては脅威であったと。だから自由世界という発想が生まれたわけでありますが、その世界の中には日本はもちろん入っていましたし、ヨーロッパ・オーストラリア・カナダといったような国々が自由世界として存在しておりました。ですから、自由世界というのは政治を語る場合のレトリックにはもはや存在していないということではありますけれども、しかし世界の中の政治的な主体としてはある意味においてはまだ存在しているわけであります。なぜならば、いわゆる自由世界というふうに呼ばれた中に属していた国々の集合体という事を考えますと、その集合体は何らかの意味でアメリカがリーダーシップを発揮してくれるだろうというふうに期待を今でもしているわけです。その意味におきまして自由世界という政治主体というのは存在しております。


 私はこの政治的な主体を元々の私の書いた本の原題では『自由世界はそれに対して盲目である』とブラインドである、というふうに名付けております。なぜならば、アメリカが現在持っているリーダーシップというのは幻想にすぎないのだという事実に自由世界の国々は目を向けていない、盲目である、というふうに感じるからであります。

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