そもそも、ウィキリークスは、『内部告発者を支援するための団体』であり、そのスタンスは最初から変わっていない。当初は、あくまでメディアであり、リークやった。しかし、しだいに信憑性を追求するようになり、その中で情報の取捨選択をするようになった。既存のマスメディアの提供するジャーナリズムに比べると、加工してないロウな情報が出ているとはいえ、情報の取捨選択がウィキの『価値観』によって行われている時点で、ジャーナリズムとしての価値と責任が発生してると思う。
じゃあ、その価値観とは何か?ウィキリークスは基本的に、内部告発者を支援し、権力を持つ者や組織の不正を暴くというスタンス。つまり、ざっくり言って国家VS個人であれば個人の味方。故に、(これは日本のマスメディアによく見られた議論だが)『その行為が国益にとってプラスかマイナスか』という議論はナンセンスだ。しかも、その活動自体が国境(国益の壁)を超えてるのだから、日本のマスメディアはなんとも寝ぼけてる。
そう考えると、NYTとの間に出来た溝にも納得がいく。NYTは基本的にはアメリカのメディアなんやから、報道の自由と国益の間にたたされた時のジレンマはウィキリークスより深刻なんや。
私は、今後ウィキリークスがジャーナリズムを追求するなら、ライバルとなる組織が必要になると思う。ジャーナリズムはそもそも100%客観的でいることはむずかしい。なぜなら、物事には必ず二面性があり、どこに主観をおいて報道するか(何を正義とするか)の選択を彼らは必ず迫られるからだ。どんな報道にも、それを発する個人ないし組織の立ち位置や価値観によるバイアスが発生する。故に、メディアは複数存在することで存在意義が生まれ、ジャーナリズムの公平性が得られる。(『オープンソース』というサイトがあるが、私は、これはメディアではあるが、その活動はリークであり、ジャーナリズムではないと思うので、ライバルとはいいがたいと思う。)ウィキリークスほどの規模や知名度のあるサイトの台頭が、この新しいジャーナリズムの未来の鍵を握ってると思う。

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