孝子桜の物語(栃木県宇都宮の民話)

昔々、古賀志のふもとに、病気のお父さんと二人暮らしの孝助という男の子が住んでいました。

孝助は、毎日毎日、お父さんの看病をした後、いつも大きな桜の木の下にきて、こうお祈りするのでした。

「おねげぇだ、おらのお父の願いを聞いてくれ。一日でいいから、花をいっぱい咲かせてくれ。」

孝助は目をつぶり、お祈りの言葉を唱えると、静かに目を開け、そして、葉を少しだけ残した桜の木を見ると、がっくりと肩を落として帰って行くのでした。

そんな孝助のことを心ない村の子どもたちはいつもばかにしていました。
それもそのはずです。葉も落ち、そして、村々が真っ白な雪化粧に変わろうとしていたこの季節に、桜が咲くはずがありません。
村の子どもたちは、一生懸命な孝助を笑い、桜の枝を折ったり、葉を揺り落としたり・・・。

でも、孝助は、そんなつらいことも我慢して、一心に祈るのでした。
「孝助、お父はもう長くない。まだ桜は咲かねぇか。」
お父は、そんな孝助に、苦しそうにこう言うのでした。
病気でもう三年も寝たきりのお父にとって、初の満開の桜を見ることが、ただひとつの楽しみだったのです。
でも、どうやら来年の春までもちそうにない自分の体に気づいてか、「桜がみてぇ、桜がみてぇ」と言っては、孝助を困らせるのでした。

そんなお父がある夜に、孝助にこんなことを言い出しました。
「孝助、お父はもうだめだ。毎日毎日、おまえが桜にお願いしているのは知っている。それでおまえが村の子供らにばかにされているのも知っている。
すまんな、孝助。お父の最後の願いだ。せめて、明日の朝、桜の木の下に連れて行ってくれ。」
孝助は、お父がどれほどその桜を慕っているのか、この時深く知りました。

お父の話をじっと聞いた孝助は、古賀志山にある大日如来様のやしろに走りました。
月の明かりを頼りに必死に走りました。
ぞうりが脱げ、ひざをすりむきながらも、お父の悲しい願いをかなえてやりたいと、一生懸命走りました。

如来様のことは、孝助も小さい頃から村人から聞いていました。
でも、猿や狐の出る山のこと、夜遅くにでかける人はいません。
如来様は、すごいお力を持ち、信仰心の強い村人には後ろ姿で現れるということでした。

やしろに着いた時、孝助の着物はぼろぼろで、体のあちこちには血がにじんでいました。
そんな痛みも忘れて孝助はただただ祈りました。

「大日さま、もう桜の花は咲かなくてもいい。その代わり、せめて明日は、あったけえ日にしてくだされ。おら、お父を連れて桜の下に行く。おらの願いを聞いてくだされ。」

静かに目を開けた孝助の前には、うっそうとしたほこらはありませんでした。
辺りはぼんやりとした明かりの中、どこからただようのか、甘いかおりです。
ほこらがあったちょうどそのところに、誰かが立っているのです。孝助はあわてて目をこすりました。
でも、目の前には、ほこらがあるだけでした。

帰り道、坂を下りながら、孝助の足はいっそう重くなりました。
「いったい、さっきは何だったんだろう。もしや、大日様では。」
そんな期待もむなしく、傷だらけの足をひきずるようにして帰るのでした。

朝が来ました。
孝助が願ったように暖かい日でした。
孝助は軽くなったお父を背負って、桜の道を一歩一歩あるき始めました。
「すまねえな、お父が病気になっちまったばかりに、重くねえか、孝助。」
お父が弱々しい声でつぶやきました。そんなお父に、孝助は涙をこらえて首を横に振ることしかできませんでした。

あの林をぬけると桜が見える、その道の途中です。
かたぐちで、孝助を呼ぶ声がしました。
「お父、何だ。苦しいのか。」
孝助は聞き返しましたが、お父ではないようです。
すると突然、孝助の頭の中で声がしました。
「孝助、お前の願いをかなえてやろう。だが、その代わりにおまえはこれからいろいろな苦労にあうぞ。それでもいいか。」
孝助は、狐につままれたような顔をしていましたが、深く息を吸うと、古賀志山に向かって林を抜けました。
お父は、疲れて眠っているようでした。
孝助はさっきからずっと下を向いたまま歩いていました。
桜を見るのがこわかったのです。
でも、大日様の言葉を信じて、いつものように祈りの言葉を唱えた後、静かに目を開けました。

桜は咲いていました。それも、今までに見たこともないくらいの満開の桜です。
「お父、咲いたぞ。桜が咲いたぞ。」
孝助は、背中のお父が落ちるほどの大声で叫びました。お父の目からは、涙がこぼれました。
「孝助、おろしてくれ。」
お父が言いました。
孝助は、お父をゆっくりおろすと、二人で一心に桜に向かって両手を合わせました。
お父は、そのまま眠るように息を引き取りました。

このことを聞いた村人たちは、誰もが孝助のことを立派な息子だとほめたたえ、子どもたちは、孝助に今までのことをわびました。
孝助は、お父がいなくなって悲しい日々が続きましたが、村人たちに見守られ、桜の世話をしながら、幸せに暮らしました。

そからというもの、そのしだれ桜は、「孝行息子の桜」という意味で、「孝子桜」と呼ばれ、毎年の春、美しい花を咲かせ、訪れる多くの人たちの目を楽しませたということです。


※(この「大日如来様」は今でも、古賀志山の中腹にまつられています。)


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