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21st Mar 2011 from Twitlonger

備忘録ロングonツイットロング:
1 災害に関する技術的知の在り様
要旨:科学技術的説明は往々にしてその成り立つ境界条件を限定し、実際には生じている事象の境界条件は異なっていた.従って科学的だったが予測できなかったという知の構造を取ることがある。このような知の構成の持つ課題について考える。

原発事故に関して、放射性物質の漏出や放射線の影響について様々な科学的な説明が議論されている。だがその言説の多くは「いたずらに不安を煽ることはない、正しい知識で安心して」というコンテクストで行われている。科学的に認識し事態を評価することはそれはそれで大いに結構だが、社会的なコンテクストでこの言説空間を観察する時、いろいろ気になることがある。それをここではまとめておく。
 まず問題は、事故やリスクの評価に関するそれぞれの知識の断片性にある。それ自身は正しいが、境界条件が限定されたという意味で断片的な物理的、技術的知識で、事故という複雑な社会現象をどこまで把握できるのかという問いがある。放射線や炉の構造等の個々の科学的知識の正確さが、全体としての状況把握にいかに繋がるのかという問題であり、これは今回の地震と津波前に「科学的に」原発の安全性を問われたら、技術者の多くが安全であると答えたであろうことと深く関係する。また事故の直後に、多くの解説がここまで悪化しないという説明をしていた事とも関連する。21日早朝時点で、幸い炉の温度上昇は収束フェーズに入ったようなので、「必要以上不安がる必要はない」「水蒸気爆発などない」「放射線の被害は限定されている」とする科学的分析が力を発揮するコンテクストが整いつつある。だが、一歩引いて、知識社会論的視座で今回の原発事故に関する言説空間を観察すれば、そこには科学社会学的な問いが立てられる。
 ここで問題とすべきは、実際の状況に適用するときに、科学的知は『想定された境界条件であれば正しい知』であるという使われ方のコンテクストをそもそも持つという点である。例えば福島原発の炉について事後的に分かった事に、実は福島のBMWを設計した東芝の技術者が、『実際耐震設計の見直しはしていたが津波に対する見直しは「まだ」であった』という指摘がある。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/278890.html
 つまり大規模な津波という境界条件では、冷却設備の設計はなされていなかったのである。
 これは、ある境界条件の下では科学は確実な事は言えても、様々な組織的条件、社会的条件、自然的条件の中で、想定された境界条件とは異なった状況が生じる可能性があるという事を意味している。これこそが社会の中での技術を考える時工学者の思考パターンの中で一番弱い所なのだ。よりシンプルな境界条件で保証されることと、境界条件が変化しているかもしれないことの間の切り分けができないと、一見科学的に見える推論が何の意味もないことになる。
 このようなとき、技術者に取っては、議論の前提として想定した境界条件の範囲の外にあることは、当然のことながら推論・分析の想定外になる。この前提となる境界条件の設定をする責任がどこにあるかは置いておいたとしても、技術の言説空間を外側から見ると、技術者の言説は、「間違いがなければオーケイ」、「間違いがあったときは、それは想定外で境界条件が正しいものであれば正しい結果をだせるのだ」というプロテクとベルトでガードされた論理を(一個人の中というより技術者共同体の中で)展開しているように見えるのである。つまり「想定外」が常にエクスキューズとして用意されるように見える。何らかの災害で事態が悪化して行くときに、それは想定外だからと次々に設定条件を変えながら、個々の境界条件下での推論は科学的であるとして事態を説明できたとしても、それは事態に対処するプラグマチックな知識にはならない。
 同様に、今放射線のレベルが安全ということと、今後安全であるということは独立である。今背後で危機が進行していないということは、今放射線の測定値が安全ということからは保証されないのである。正確にいうと確率的な独立事象でとは言えないが、その安全性の相関は構造的なロジックが明確でない限り言えない。
 更に技術者の心理或は癖として、そこに『科学的知識で人々の不要な不安、パニック、憶測などを除去する』という目的意識或は心理性向が入った時、技術者の『科学的知』は、一種の逆機能を事態の理解に対してもたらす可能性がある。つまり『**のリスクはない』という言説が、うまくいけば予言の自己成就、途中でリスクが生じたら、「その推論の前提が崩れたから(境界条件が変化したから)リスクが生じた」という、どちらにしても予言は正統性を持つという予言者のパラドクスを含む形になりかねず、科学的推論と言う儀礼体系を伴う信念の体系、或はそれに対する不信の体系を知の在り様として構築してしまう可能性があるのだ。実際の予言者のパラドクスは、予言がはずれたときは、私が危機回避の祈りをしたからだという論理が展開されることで予言者は傷つかないというものだが、科学技術者の場合には、そこは少し違う。そこでは予言が外れたのは前提となる境界条件が違っていたからだという形となり、科学的知識による予言という構図そのものは傷つかないというメタ的な知の構成を取ることになる。だがこれは同時に、予言者は信じられない=科学者は信じられないという構図をも科学に対する信仰のない人々にはもたらしかねない。実際、今回の原子炉危機に於いても、水素爆発以前と以降での説明は、この予言のパラドクスに近い説明体系になっているように思えてならない。事後的に、「水素が出る事は原子炉技術者なら知っている」といってもそれは正に予言者のパラドクス的言説にしか聞こえないのである。

 むろん何らかの事態に際して、そこで生じている事象をモデル化するために、圧力炉の状態、水素爆発の可能性、水蒸気爆発の可能性、核物質の漏出のリスクなど相互に相関する個々の事象が形作る、事態を記述するモデルのシステム境界の境界条件の変化を含めた全体モデルをきちんと描ければいいのだが、社会の中の技術でそれを行うことは往々にして困難を伴う。というよりほぼ不可能であろう。また実際の危機に際しても、事態の推移を全てモデルとして組み入れて、それを正確に推定することは難しい。今回の危機に際しても、緊急時対策支援システム(ERSS:Emergency Response Support System)は、その中の「解析予測システム」(APS)によりプラントの状態解析し、炉心出口温度、原子炉および格納容器の温度・圧力等のプラント主要パラメータ値やその予測、放射性物質の放出量を表示するとあるが機能していない。
http://www.jnes.go.jp/bousaipage/system/erss-7.htm
http://nucnuc.at.webry.info/201012/article_1.html

 問題状況を記述する境界条件を十分に把握できない事はいくらでもある。例えば放射線のリスクの算定がある。放射性ヨウ素(ヨウ素-131(半減期8.06日)、ヨウ素-133(半減期20.8時間))は核反応によって生じるもので、現在炉がシャットダウンされており、核反応が起きていなければ新たに生じないということであれば、時間を待てばそのリスクは小さくなる。しかし炉が、何らかの形で溶融して、建て屋の火災等で吹き上げられて炉にある核物質の多くが拡散するようなことになれば、話は別であろう。こういう事態を招く条件が生じないということを言えるだけの確実性は、得られるデータからは保証されるのであろうか。無論、総体として何がおきような生じないできごと、極めて小さな可能性(隕石が降ってくるような可能性)は除外できる。だがそれにしても、論理的に圧力炉の崩壊や、それに伴う水蒸気爆発、或は再臨界現象が絶対にないと言い切れるのだろうか。
 実際例えば、牧野氏は自身のブログで
http://jun-makino.sakura.ne.jp/articles/future_sc/note098.html
原子力安全基盤機構原子力システム安全部の報告書リストにある 「地震時レベル2PSAの解析(BWR)」
http://www.jnes.go.jp/content/000017304.pdf
http://www.jnes.go.jp/content/000017303.pdf
を紹介しながら、この報告書のシミュレーションに基づき、今回の事故で何がおきたかの最悪の可能性の分析をしている。
それによればこの報告書では、「電源喪失」という今回起こった通りのことをシミュレーションしており、『BWR-4(電気出力50万kW)では2.4 時間後 に燃料落下開始、3.3 時間後に圧力容器破損、16 時間後に格納容器の破損とな り、70時間後までのシミュレーションでは主に外に放出された放射性物質は CsI (ヨウ化セシウム)、元々炉心にあった量の0.2 % です。BWR-4 では起こる ことは殆ど同じですが、CsI のでる量がかなり多く、9% となっています。』とまとめている。

 そんなことを書いているときに、格納容器の圧力が上がっているという報道(20日12:46分)が入って来た。格納容器の圧力が上がるという現象、これも新たな境界条件の変化である。この条件が生じたという全体システムからの説明はこの時点ではなされていない。つまりは我々の全体システムに対する理解というのは、システムが正常に動いていないときにはその程度なのである。物理的な要素的理解は、きちんとした固定的な境界条件が与えられてこそのもので、それが流動化する世界では、その変化の最大可能性の範囲をきちんと把握し、最大リスクと最小リスクをシナリオ化して、問題に対処する必要がある。これは確率的な算定ではないことに注意を要する。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/02/02030401/06.gif
に福島第二炉の構造図があるが、圧力容器の圧を下げる為にサプレッションチェンバーを開ける、それがだめなら直接空気を放出するということでいずれにせよ環境に放出される放射性物質の量は増える。
 生じ得る境界条件のぎりぎりの範囲を推定し(その確率は分からなくても)最大リスクのケースを想定し、コスト制約等はあってもよいが、何らかの形で最大リスクの最小化を計る。このようなシナリオ化のアプローチは、同時にリスクコミュニケーションを伴わなくてはならない。
 今回(21日)は最終的に格納容器の圧力は低下して放出はなかったが、今後長期にわたり放射性物質の漏出は続き、火災等による大規模な漏出のリスクもつきまとうだろう。

 同様に再臨界についても、牧野氏はブログで『再臨界は起こりうるが、それほど巨大な爆発になることはない』と指摘しているが、これは十分首肯できる。要は、1999年のJCO の臨界事故のような短期の弱い臨界は絶対ないとは言えないかもしれないが、本質的な問題はそこではなく、炉心の核物質の外部流出、拡散の危機にあるわけである。今後何らかの原因でまた燃料棒の冷却に失敗した場合、水蒸気爆発の可能性も除去できないだろうし、更に強い余震等で再度火災が発生し、損傷した炉からでた放射性物質が上昇気流で拡散し、その火災が長期間続くというのが最も嫌なシナリオとなる。
 前述の牧野氏は、放射性物質の拡散の量についてもある程度の推計をしている。だが、それは本来はシミュレーションの役割である。いずれにせよ今回の事故の様なケース、とくに環境への放射性物質の放出がなされているようなケースでは、拡散のリスクを正確に把握する必要がある。ところがこれについては、現状はドイツのシュピーゲル誌が、怪しいシミュレーションを出している程度である。
http://www.spiegel.de/wissenschaft/natur/bild-750835-191816.html
日本からは放射性物質の排出と拡散、リスク分析のためのシミュレーションの結果は公表されていない。だが放射性物質の拡散予測は危機管理では必須である。この放射性物質の排出と拡散のシミュレーションの問題は、本来それを行う筈であった、SPEEDI(緊急時環境線量情報予測システム)の問題として別途扱う。

 最期に、この原子力発電の事故のリスクの認知を別の角度から見てみよう。そのために原子力発電というもののリスクを交通事故と比較してみたい。どちらもそれぞれ電力と交通の基幹インフラであり重要な社会インフラである。しかも原子力や自動車に替わる発電や輸送の手段=インフラは、不十分とはいえ、ないわけではない。この交通事故での死者は、1970年(昭和45年)には年間で1万6765人の最悪を記録した、現在でも平成21年度で 4,914人(24時間以内)を記録している。
http://www.npa.go.jp/toukei/kouki/0102_H21dead.pdf
 これは年間コンスタントに5000人の命が奪われている社会インフラがあるということを意味している。しかし交通インフラとしての自動車がもたらす死者のリスクは、電力インフラの原子力発電ほど大騒ぎにはならない。むろんこれは原子力を容認するという話ではない。我々はなぜこのような年間5000人もの命を奪う、危険な社会的リスクを伴う社会インフラを片方では許容をするかということも同時に問うていかなければならないのである。一つ言えることは、交通事故の論理と因果は分かりやすいことである。そこには我々に理解できる因果がある。だから例えば、「信号機があるからこれを守れば交差点で事故が起こらない」という論理を展開されても、いや信号機が守られないことがいくらでもあると言い得るし、このようなケースでは単純な境界条件から外れる事象について、我々は容易にそれを理解できる。そこに安全性に関する暗闇は比較的少ない。つまり最悪の事態のシナリオがそれなりに引けるのである。それゆえ、近年では酒酔運転に関して、それを許容した同乗者も罰する等、人間的なエラーの範囲をカバーするように制度的な規制も進化している。
 原子力にはこの自明でない因果性からなる暗闇が沢山ある。局所的な物理的ロジックから説明される安全性は、全体システムの一部を構成するにすぎず、そこからは見えない境界条件が変化している可能性を我々はそう簡単に除外できないのである。
 だからこそ様々なシナリオを考慮して、最悪の事態の最小化のためのシナリオ解析が必要で、それには徹底的な情報開示と、情報透過型社会に相応しい、リスクコミュニケーションと危機管理の方策の策定が必要となる。
 以上

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