『人が人を裁くということ』(小坂井敏晶著、岩波新書)を読む。
人が人を裁く裁判という制度は、真理を発見する装置ではなく、真実とは何かを定める政治的行為だという視点からその限界を論じる。神ではなく人が人を裁くのである以上、そこに過ちが必然的に生じる。冤罪はその最たるものであるが、これをあってはならないことと捉えるのではなく一定の頻度で必ず起きるものとまず理解することが重要な前提である。その上で死刑や裁判員制度をどう構築するべきかを考えねばならないと説く。犯罪という秩序を破壊する行為はすでに起きた過去である以上、社会が失われた秩序をどう回復するかはその歴史や文化によって変わりうる。その中で悪しき意志をもって行為した犯人が必要な悪として作り上げられなければならないのだ。その際どれほど私たちは私たち自身から産み落とされた逸脱者=悪に対して寛容になれるのか。全体主義に陥らずに民主主義を維持するというより根本的な視点からよりよい裁判員制度とはどういうものか再考を促す論考である。

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