人間は、全自然をその高く満ち満ちた威容のうちに仰視し、その視線を自分を取り巻く低いものから遠ざけるがよい。そして宇宙を照らすための永遠の燈火のように置かれているあの輝かしい光に目を注ぎ、その天体の描く広大な軌道に比べては、この地球も一点のように見え、更にこの広大な軌道それ自体といえども、天空を巡る諸々の天体が取り巻いている軌道に比べては、ごく微細な一尖端にすぎないということに驚くがよい。しかし、もし我々の視線がそこで止まるならば、我々の想像力が更に遠く進むがいい。自然が与えるのに疲れるより先に、想像がそれを頭に入れるのに疲れてしまうだろう。全てこの目に見える世界は、自然のゆったりした懐の中では、目にも留まらぬほどの一つの線にすぎない。いかなる観念もそれに近づくことはない。我々が想像しうる限りの空間よりも更に向こうへ、我々の思いをいくら膨らませていったところで無駄である。事物の現実に比べては、原子を生み出すに過ぎない。これは中心がどこにもあり、円周がどこにもない無限の球体である。即ち、我々の想像がその思考の中に自分を見失ってしまうということこそ、神の万能について感知しうる最大のしるしである。§72

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