【消費税・益税訴訟】

 「消費税は憲法違反だ」とする国家損害賠償訴訟の判決が東京地裁民事第15部で言い渡されたのは、1990年3月26日のことである。元参議院議員で「サラリーマン新党」の最高顧問だった「青木茂」氏ら合計20人が、「益税」問題を俎上に載せて、
「消費税の納税者は消費者であり、事業者は納税義務者である」との解釈を前提に、
「にもかかわらず消費者から支払われた消費税が国庫に納付されない、事業者によるピンハネを認めている仕入税額控除、簡易課税、事業者免税点の各制度は、恣意的な徴税を禁じた憲法八十四条と国民の財産権を定めた同二十九条に違反し、また事業者間に不公平な扱いをもたらすものでもあるので、法の下の平等を定めた同十四条にも違反している」
旨の訴えを起こしていたのだが、鬼頭季郎裁判長はこれを棄却した。
 すなわち「消費税は憲法に違反していない、合憲である」との判断だ。1989年4月の導入から1年、それまでも批判の的だった「益税」に司法がお墨付きを与えた格好の重大判決だったにしては、ごく一部の例外を除いて、マスコミ各社の扱いが妙に小さかった。
 判決理由は以下のように述べる。

「納税義務者」とは誰か?

 <税制改革法11条1項は、「事業者は、消費に広く薄く負担を求めるという消費税の性格にかんがみ、消費税を円滑かつ適正に転嫁するものとする」と抽象的に規定しているに過ぎず、消費税法及び税制改革法には、消費者が納税義務者である事はおろか、事業者が消費者から徴収すべき具体的な税額、消費者から徴収しなかったことに対する事業者への制裁等についても全く定められていないから、消費税法等が事業者に徴収義務を、消費者に納税義務を課したものとはいえない>

 つまり、事業者は消費者に対する商品やサービスの販売価格に「消費税を上乗せしてもよいし、しなくても構わない。消費者の側もまた、購入価格に消費税を支払ってもよいが、支払わなければならないとは定められていない」というのである。
 論理的であろうとする態度そのものが、この判決には欠けていた。

「憲法八十四条違反」ではないのか?

 <消費税分の転嫁の仕方は、事業者の対価等の決定如何に委ねられており、その運用如何によっては、消費者に対する実質的な過剰転嫁ないしピンハネが生じる可能性もなくはない。この点において、消費税負担者である消費者側から見れば、消費税分につき、自己の負担すべき額の決定が恣意的に行われるように見える余地がある。
 しかしながら、消費者が消費税相当分として事業者に支払う金銭は、あくまで商品ないし役務の提供の対価としての性質を有するものであって、消費者は税そのものを恣意的に徴収されるわけではない。そして、法律上の納税義務者である事業者が、恣意的に国から消費税を徴収されるわけでもない。したがって、消費税法は、租税法律主義を定めた憲法八十四条の一義的な文言に違反するものではない>

 …と、およそ不誠実としか言いようがない屁理屈が展開された。
 事業者と消費者との間における、消費税とは「要するに物価」なのだ。転嫁できるもできないも、とどのつまりは売る側の腕次第。「力関係の上位者は、転嫁に加えて便乗値上げもできようが、力関係の下位者は自分で被るしかないはめに陥らされる」ことを司法は認めたことになる。
 最終的に、誰が負担しようと、徴税当局は「取れるものさえ取れればよい」という態度だ。つまり「消費税とは経済取引の力関係が全て」であり、問題だらけなのは明々白々だが、「お国のためなんだから我慢しろ」という判決だ。
 もともとは「消費者の視点」から「益税許すまじ」という趣旨の訴訟だった。これはこれで一般に支持を受けやすい、突き詰められると厄介な論理で、国としては「この段階から矛盾を認めてしまうと、消費税そのものが成り立たなくなる可能性」がある。そこで大蔵省は、消費税のつもりで消費者が支払う金額はあくまでも物価の一部であり、「益税」などという概念は法律論的には存在しないという主張を展開し、東京地裁もこれを自らの判断だとした。実体経済の上でどうであろうと、そんなものは「結果論」でしかないと。
重要なのは、消費税の一番の問題点である「仕入税額控除」により齎される「損税」の可能性も、国は自ら認めたことになることだ。

参考・引用:消費税のカラクリ:斎藤貴男著(講談社現代新書)

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