決定までの内幕が書かれた興味深い記事→万策尽き最後のカード 東電会長に下河辺氏。本命・奥田氏ら辞退、経営監視役から一転 http://s.nikkei.com/JlozMx (日経) 東京電力の新会長に、弁護士で原子力損害賠償支援機構の運営委員長を務める下河辺和彦氏の就任が決まった。当初めざした経営者OBの起用をあきらめ、4月に入って「最後の切り札」として急浮上した。迷走した東電人事に迫る。
■「下河辺氏はベストに近い」(4月19日、枝野幸男経済産業相)
 19日夕、首相官邸。野田佳彦首相から東電会長就任を要請された下河辺氏は「精いっぱい努力する」と力強く応じた。会談のお膳立てをしたのは、人事を指揮してきた民主党の仙谷由人政調会長代行。仙谷氏の官房長官時代などに秘書官を務めた松本収氏や原賠機構の嶋田隆事務局長ら「チーム仙谷」が実働部隊を担った。枝野氏は19日、下河辺氏を持ち上げたが、当初の本命はトヨタ自動車の奥田碩前相談役だった。
 「奥田氏自身からは引き受けてもいいという感触があった」。年明けから本格化した調整で、奥田氏に打診した関係者は悔しがる。企業イメージの低下を恐れたトヨタ側が難色を示し、奥田氏は辞退した。それから人事の迷走が始まる。
■「賠償や廃炉が決まらなければ、引き受ける人はいない」(相談を受けた経済人)
 新日本製鉄の今井敬名誉会長らにも打診したが決まらない。仙谷氏らが会長を正式に打診したのは数人だが、事前に接触して感触を探ったのは10~20人のもよう。これを「打診」と勘違いした経済人が「話が来たけど断った」と吹聴。「あの人も断ったらしい」と噂が広がり、ますます引き受け手が現れなくなった。
 3月上旬、北京市内のホテルのバー。嶋田氏は望月晴文元経産次官とグラスを傾けていた。周囲には「検査入院」と説明した極秘渡航。丹羽宇一郎中国大使(元伊藤忠商事社長)に打診するのが目的だった。東電と機構は当初、3月末までに総合特別事業計画の認定を得る段取りだった。計画と人事はセットで決まるので、3月中旬には会長人事を固めたかった。公的役職を多く引き受けてきた丹羽氏に望みをかけ、丹羽氏と親しい望月氏も連れて説得を試みたが、色よい返事は届かなかった。計画は4月に先送りされ、会長人事の遅れが誰の目にもハッキリした。
■「下河辺さんの緊急登板しかない」(機構委員が仙谷氏らに)
 機構トップの下河辺氏の名前が挙がり始めたのはこの頃だ。1年近く東電の再建計画作りに携わり、ぶれずに経営改革を迫った。仙谷氏らも経済人に打診を続けながら、下河辺氏を意識し始める。
 下河辺氏は「外堀」が埋まりつつあるのを知らなかったフシがある。「桜が咲く頃にはすべて片づくから酒でも飲みましょう」。下河辺氏は1月に旧知の経産官僚とこんな話をしている。3月29日には記者団に東電会長に就く可能性を「ありえない」と否定した。
 下河辺氏は日本リースなどの更生管財人も務めた倒産法制の専門家だ。実務面で助言できると考えて東電再建に関わったが、すでに自らの弁護士事務所を閉めて熱海から新幹線で通勤する「セミリタイア」状態。原発事故の賠償などで心身ともに負担が大きい東電会長ポストは敬遠していた。
■「機構と東電では立場が違いすぎる。行司がまわしを締めるようなもの」(下河辺氏が周囲に)
 だが、東電の綱渡りの経営状況がそれを許さない。5月中旬の決算発表前に枝野経産相から事業計画の認定を得なければ、東電は機構から賠償資金の援助を受けられず、債務超過になる恐れもあった。
 遅くとも月内に会長を決める必要があった。今週に入って「チーム仙谷」が最後に打診していた経済人が正式に断る。その直後に打診を受けた下河辺氏に断るという選択肢は残っていなかった。

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