soilyano

kenichro yano · @soilyano

2nd Jun 2012 from Soicha

カントは真の自由とは自律ある個人にのみあり、自ら考えなくては、一見自由に見えてもあくまでそれは他律である。結果がAだからBの行動をするのは、道徳、美徳に反すると人間の浅薄な言動を戒めている。
分かりやすく言えば、サンデルの例にあるスペリングコンテストで優勝した少年が実は、カンニングをしていた事を告白したのは以下のどちらの理由かにより、正反対の道徳律だ、と言うのである。
1.カンニングを告白したのは、自分は狡い、いやな奴と思いたく、また思われたくないから。
2.不正をした真実を自ら告げるのが正しい事だから、と認識していたから。

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