米国の経済学者・ジャーナリスト ラジ・パテル氏『新自由主義を見直せ』|日本農業新聞6月4日

 世界中に貧富の格差が広がった背景には、まさに市場原理、自由貿易を推進してきた新自由主義の台頭がある。自由と自己責任の下で、政府は社会福祉を切り捨てた。市場原理や自由貿易の推進によって、利益を追求する企業や投資家、銀行が力を持ち、競争社会の中で貧富の差も拡大した。

 例えば、北米自由貿易協定(NAFTA)を結んだ結果、米国企業が人件費の安いメキシコに工場を移し、米国内での失業を増大させた。一方、メキシコでは、米国産トウモロコシなどの農産物輸入が急増し、農業が壊滅的打撃を受けた。この結果、多くの農民が離農を余儀なくされた。NAFTAによって一部の企業は利益を得たが、メキシコ農民も米国労働者も大きな被害を受けた。

 貿易自由化で食料の価格が下がれば、消費者にとっては喜ばしいかもしれない。だが、市場には企業が売りたい商品しか流通しなくなる。肥満や生活習慣病などの原因にもなりかねないような食品は手に入れやすくなる一方、より健康的なものは見つけにくくなる。メキシコでは肥満率が急上昇し、米国に次ぐ世界第2位の肥満大国になった。それに伴って、医療費などの社会的費用も膨れ上がっている。

 世界的な社会問題になっている貧富の格差や貧困は、新自由主義の病状の一つだ。少数の企業や投資家が政治と一体となって、利益を追求している。2008年の食料価格高騰によって、途上国を中心に10億人が飢餓に陥ったのは象徴的な問題だ。米国内でも同じようなことが起きている。国内には大量の食料があるのに、4800万人が十分な食料を手に入れられない状態にある。このことは新自由主義の延長線上にある問題だ。

 環太平洋連携協定(TPP)も大きな問題をはらんでいる。企業が国家の制度や規制を変えさせるほどの力を持ち、国家主権も左右する。進出先の国の制度や規制で不利益を受けたと判断すれば、投資家。国家訴訟(ISD)条項で訴えることができる。TPPに参加すれば企業の利益が最優先され、民主的な意思決定は難しくなる。

 米国内でも反対運動は起きている。ウィスコンシン州で小規模家族経営を営むある酪農家は、TPPによって持続可能な農業ができなくなると危惧している。全米家族経営型農家連合」は反TPPの立場を表明している。「パブリック・シチズン」という米国で最も大きい市民団体も、TPPに反対し啓発活動を行っている。

 TPPは、光を当てると死んでしまう“吸血鬼”のようなものだ。内実をニュースで取り上げたり、啓発活動を行ったりして、事実を知った人が声を上げればTPPを止める原動力になる。

 食料主権の確立に向けては、基本的人権を尊重し、一人一人が意見やアイデアを出し合い、民主的に話し合える場が必要だ。どのような社会を築きたいのか、家族や地域、国などあらゆる段階で対話を進め、意見の相違を理解した上で協力していかなければならない。特に、女性の権利を尊重していく必要がある。飢餓に陥っている人の60%が女性だ。女性の権利が尊重されている状態にあるとは言えない。

 また、貿易の不均衡から生じた貧困国の借金を帳消しにし、それまでの被害を補償しなければならない。食料危機を契機に、食料主権を国家政策目標に掲げる動きが出てきた。世界銀行も、穀物備蓄の必要性を唱え始めている。国家レベルでは、法律などで企業の権力拡大を規制していく必要がある。

 格差、貧困、飢餓、食料、環境の問題を改善に導くためには、より多くの人がこの問題に積極的に関わることが重要だ。そして何より、食事を楽しむことだ。合理化と効率化を追求する新自由主義は、食の意義や価値、楽しさを忘れさせてしまう。この問題への関心を高めるとともに、食を味わい、食を大切にすることが食料主権の確立につながる。


ラジ・パテル 1972年、ロンドン生まれ。米コーネル大学で博士号を取得し、世界貿易機関(WTO)、世界銀行にエコノミストとして勤務。現在はサンフランシスコにある農業貿易政策研究所研究員。活動家、ジャーナリストとしても活躍。国際的な食料問題の専門家として評価が高く、2008年の食料危機の際に、米国下院で意見を表明するなど政策決定にも影響。著書に『肥満と飢餓 世界フード・ビジネスの不幸のシステム』(佐久間智子訳、作品社)など

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