時止まり、朽ちる街 原発避難の福島・双葉町ルポ
朝日デジタル2014年2月26日

 東京電力福島第一原発の事故で全町民が避難を続ける福島県双葉町の役場に25日、事故後初めて朝日新聞記者が入った。大震災翌日の2011年3月12日に国の指示で避難して以来、無人になった役場は、1階の壁に同年3月のカレンダーがかかり、時計も止まったまま。机や棚から落ちた書類やファイルが床に散乱。段ボール箱に入った調理パンは黒っぽく変色し、観葉植物も枯れ果てて土色になっていた。

 「10キロ以内区域のため室内待機となります。外出しないで下さい」。正面玄関内側の張り紙の文字には赤線でアンダーラインが引かれていた。2階には東電から届いた原発の情報が刻々と書きこまれた模造紙がボードに張られ、12日未明の情報として「格納容器圧力異常上昇」の文字がある。この日から役場も避難を強いられ、同県川俣町、さいたま市、埼玉県加須市を転々とし、昨年6月、福島県いわき市に移転した。

 役場の屋上から眺めた。晴れた空の下に、時が止まったまま、人の住む世界からへだてられ、朽ちていく街の姿があった。

 ■「東電は『絶対安全』と言っていた」

 東京電力福島第一原発の事故で全町避難し、25日に朝日新聞記者が入った福島県双葉町(人口約6400人)。役場周辺を含め、96%が帰還困難区域(年間積算放射線量50ミリシーベルト超)で、バリケードに囲まれて自由な立ち入りができない。町の許可を得て町内を取材した。

 記者は、全身を包む白い防護服を着てマスクをし、線量計を持って取材にあたった。案内の役場職員も同様の服装に身を固めた。役場を出て、町中心部の長塚地区に向かった。住民の姿は全く見られない。

 時折、除染作業のトラックや乗用車が勢いよく走る。カラスの鳴き声が聞こえる。壊れたシャッターが風にあおられて「バシャン」と音を立てた。

 地震の揺れで倒壊し、道路にせり出したままの家屋があった。その向かいの「初発(しょはつ)神社」も社殿が傾き、高さ約3メートルの石碑が倒れて真ん中あたりで折れている。「同級生が宮司だったんです。ここで娘の七五三や買った車のおはらいもしてもらった」。案内してくれた町秘書広報課の平岩邦弘課長(52)は話した。

 平岩さんは震災当時、原子力対策担当の係長。第一原発が立地するために国から払われる交付金の申請や、原発のトラブル時に東電から情報を受ける立場だった。「東電は『絶対安全』と言っていた。こんなことになるとは想像もしなかった」。無人の街並みを眺めながら、つぶやいた。

 沿岸部の双葉海水浴場。震災前年は約8万5千人の海水浴客でにぎわったが、津波に襲われ、町営の海の家も大破した。建物の階上に行くと太平洋が水平線まできれいに見え、砂浜に打ち寄せる波は穏やかだ。

 町の北東部は線量が比較的低く、昨年5月に避難指示解除準備区域となった。だが、バリケード越しに眺めると、津波で家々が流された跡に枯れ草が目立つ。インフラ整備や除染も進んでいない。平岩さんの自宅もこの区域にある。昨年5月からは「何も変わっていない」と即答した。

 伊沢史朗町長は昨年の町議会で最重要課題を「自治体としてあり続けること」と、町の存続への危機感をあらわにした。(根岸拓朗)

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