福島、避難指示区域で田植え 再出荷目指し「通勤」2時間
2014/5/23 日本経済新聞 電子版

 東京電力福島第1原子力発電所事故の「避難指示区域」で5月、福島県の農家がコメの出荷再開を目指し田植えをした。避難指示区域は日中に立ち入ることはできるが宿泊はできず、農家の人たちは避難先から長時間かけて田んぼに出向く。「黄金色の景色を取り戻したい」。風評被害への不安もあるが、ふるさとでのコメ作りを取り戻すため汗を流している。

 福島第1原発から北西に約10キロの浪江町酒田地区。5月中旬、除染が終わった田んぼで稲の苗が植え付けられた。浪江町でのコメ作りは原発事故後初めてだ。

 「また田植えができる日がくるとは思わなかった」。川俣町に避難する農家、松本清人さん(75)の白い歯がこぼれた。半谷好啓さん(60)は郡山市の借り上げ仮設住宅から約2時間かけて田んぼに足を運んだ。「避難先で何もしないで過ごすのは精神的につらかった」と待望の再開を喜んだ。

 今年は松本さん、半谷さんの2人が計約1.2ヘクタールで試験的に栽培し、放射性物質の濃度を検査。基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回れば試食会で町民らに振る舞う。出荷はせず、来年以降の本格栽培につなげる。

 富岡町の避難指示区域の約1.2ヘクタールでも5月中旬、事故後初の出荷を目指す作付けが始まった。「前夜はうれしくて眠れなかった」。農家10人でつくる生産組合の組合長、渡辺康男さん(63)は避難先の西郷村から車で約150キロの道のりを駆け付けた。

 渡辺さんらは原発事故後、国の実施を待たず、自分たちの田んぼを除染した。昨年の試験栽培では約1.8トンを収穫。放射性物質の検査で1キロ当たり17~18ベクレルと基準値を下回った。だが試験栽培は出荷を前提としないため全量を廃棄。「悔しい思いをした」(渡辺さん)

 生産組合の栽培には早稲田大の研究所が協力する。田んぼの一角にスマートフォンを組み込んだ装置を置き、4時間ごとに撮影。離れていてもウェブ上で稲の生育状況を確認できるようにする。農家は避難先のいわき市や郡山市などから交代で田んぼを訪れ、水量を管理する。

 富岡町内の除染は途上で、大半の農地は雑草で覆われる。コメ作りを巡る環境はまだまだ厳しいが「作付け再開で夏の緑のじゅうたん、秋の黄金色の風景を取り戻す」と渡辺さん。「おいしいコメを出荷し、福島産への風評の風向きを変えたい」と意気込む。

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