朝の寮にいるIDOLiSH7のSSを書きました。ネタバレはないですが第一部前半までプレイしていらっしゃるとわかりやすいかもです。



「寒……」
 夜明け前のキッチンは肌寒かった。
 ケトルでお湯をわかしながら、三月は大量の食材を刻んでいた。大量の肉や、大量のきのこ。朝食にしては多すぎるくらいの量だ。
 ばたん、と冷蔵庫を閉める音と、リビングのドアが開く音が重なった。
「おはようございます。お手伝いします」
 壮五が起きてきた。部屋着にエプロンをひっかけただけの三月とは違って、壮五はきちんと着替えている。寮の共有スペースであっても、彼はきちんとしている。
 ソファの上に脱ぎ散らかされた服や雑誌を片づけながら「また環くんは……」と壮五はこぼしている。壮五がキッチンに来るのを待って、おはようの挨拶と一緒に三月は尋ねた。
「昨夜、1番遅くまで起きてたやつ誰?」
「誰でしょう……。大和さん? 環くんかな? どうしてですか?」
「冷凍庫のドア開いたまんま」
 口を曲げて、三月が告げる。壮五はたくさん刻まれた食材の理由に納得した。
「中のもの、痛んでました?」
「半解凍だった。平気と思うけど、心配だから早めに食っちゃおうぜ」
「……おはようございまーす……」
 眠たそうな声を隠さずに、のろのろと陸がリビングにやってきた。
 今日は早朝の仕事のため、みなが早起きだった。まだ眠っている街はしんと静まり返っている。
 ぼんやりと窓を見やった陸は、ふいに目を輝かせた。
「月だ! 朝なのにすごい明るい月。星もまだ見える!」
「おー。本当だ」
「まだ外は真夜中だね」
 陸の楽しげな声は、まだ見えない朝陽より早く、キッチンの2人の気分を明るくした。
 陸は思わず窓を開けようとして、首根っこを掴まれた。
 振り返ると、不機嫌そうな一織がいる。
「……寒暖の差に弱いんですから、外の気温もわからないうちに窓を開けないでくださいよ」
 陸は言い返さなかった。一織が不機嫌なわけではなく、眠くて目が開かないだけだと知っていたからだ。
 いつもは冷たい印象を与える冴えた眼差しも、眩しくて困ってる人のようで迫力がない。それが嬉しくて陸は笑う。
「格好良くない一織だ」
「なんなんですか、朝から。ケンカを売ってるんですか……」
 むっとして、一織も次第に覚醒しはじめた。
 その時、再びリビングの扉が開く。
「…………」
 ナギは無言で入ってきた。眠たげで憂鬱そうな表情も、整えられていない無防備な髪も、彼の美貌を際立たせている。
(ぼうっとしている時が1番美形だな……)
 とは、この室内にいる誰もが思っている。
 ナギはソファに座って、ゆったりと足を組みながら、誰にともなく告げた。
「カフェオレをひとつ」
「ご注文ありがとうございます。——じゃねえよ」
 ノリ突っ込みをしてから、三月はミトンを投げつけた。ぱすん、とナギの頭に当たって落ちる。
「召使いじゃねえんだ。自分でやれ」
 ミトンが頭にあたってもナギは目を開けなかった。陸はナギの隣りに座ると、スマホを構えた。
 気だるげな横顔を写真に収めて、三月に報告する。
「格好いいナギ撮れたー」
「おー」
 三月は手柄を褒めるような返事をした。2人のやり取りに一織は怪訝そうだ。
「なんですか、それ」
「格好いいナギ集め。三月とやってる」
 陸は顔を上げて、一織を見やると、ふいに笑った。得意気にスマホを構える。
「一織も格好いい顔になってきたな。撮ってあげる」
「止めてください」
 眉をしかめて、一織はレンズを手で覆った。
 アイドルのくせに、一織はいまだに身内の撮影会を気恥ずかしがった。だから、陸のスマホの中の一織は照れた顔ばかりだ。
 食材を全部まとめたスープと、全部まとめたオムレツを作りながら、三月が壮五を振り返る。
「そろそろ、大和さんと環、起こしてきてくれよ」
 壮五はちょっと困った顔をした。
「環くんは起こします。大和さんはお任せしてもいいですか?」
「蹴飛ばして起こせって。おまえ、脳内の上下関係厳しすぎるぞ」
「そういうわけではないんです。起こそうとしても、言葉で煙に巻かれてしまって……」
「煙に巻かれる?」
「後5分後に起きることに意義があるですとか、起きているけど瞑想中だと言われると、無理強いが出来なくなってしまうんです」
 三月は手早く、壮五に調理器具を手渡した。目玉焼き用のフライパンとおたまだ。
 じゃん、と真顔で一度打ち鳴らす。
「じじいのたわごとに耳は貸さなくていい。ソウルでかき鳴らせ」
「ソウル……」
 壮五はプレッシャーを感じながら、調理器具を握りしめて2階に向かった。
 数分後、天井からは、ものすごい金属音と大和の悲鳴が響いてきた。
「うわー。ひでーめにあった……」
 片耳を塞ぎながら、寝ぐせのついたままの大和が、リビングにやってきた。
「おはようございます、大和さん」
「おはようございます」
 しばらくすると、今度は金属音と環の悲鳴が聞こえた。大和は無視して、朝の挨拶を返す。
「おはよう。ああいう遊びをソウに教えるのはミツだな?」
 大和は三月を振り返りながら、ナギの肩に触れた。いつも自分が二度寝する場所に、ナギが寝そべっていたからだ。
 少しだけ力をかけると、ナギはすとんとソファとテーブルの下に転がり落ちた。
「…………!」
 ナギが叫んだ言葉は彼の国の言葉だった。
 びっくりして、ぱちぱちと瞬きするナギの側に、陸がしゃがみ込む。先程飛んできたミトンをはめて、パペット人形のように動かした。
「どうしました!? 警察のものですが!」
「OH……。幸福な夢を奪われました。犯人を逮捕してください」
 ナギの依頼を受けて、陸は颯爽と立ち上がった。ソファで二度寝しようとする大和の肩を、ミトンの手でぱくっと掴む。
「逮捕!」
「……うわ……っ」
 ずれた眼鏡を直しながら、大和は遠い目になった。
「朝からテンション高いなー。お兄さん寝起きでついてけないなー……」
 言いつつも、大和は陸に甘かった。陸が遊びの続きを待っているのがわかって、扉の方を指差す。
「おまわりさん、俺の眠りをぶち壊した犯人が今来るから、そっち捕まえてよ。名前は逢坂壮五。凶器はフライパン」
「もっと被害者っぽく言ってください!」
「ええ……?」
「泣いてる感じで!」
「えーんえーん」
 青年のまぬけな泣き声が響く。
 キッチンにいる三月が、思わずぷっと吹き出した。
「朝からカロリーの高い要求されてんな、おっさん」
「本当だよ……。あ、まだ月が出てるじゃん」
 レンズの奥の瞳を細めて、大和は呟いた。
「きれいだな」
 月は明るく光り輝いていた。
 空は明け方の澄んだ青さだった。月夜のような、明け方のような色合いが美しい。
 夜明けが近かった。
「ほら、足元気をつけて。ちゃんと目を開けて。1、2、1、2……」
「……うーん……。目え開かない……」
 階段の方から壮五と環の声がした。
 一織は皿を並べながら、良く目を閉じたまま階段を降りられるものだ、と同級生に対してあきれ半分で感心していた。
 扉の開く音に視線を向けると、陸が壮五に飛びつく姿が見える。
「壮五さん、逮捕!」
「わっ、びっくりした!」
「うお……!」
 壮五に手を引かれていた環は、有能な案内を失って、床にいるナギに躓いた。
 したたかに体をぶつけあったナギと環がうずくまる。すると、すぐにミトンの警察が飛んで来た。
「どうしました!? 事故ですか? 事件ですか?」
「タマキの前方不注意です……」
「ナギっちがそんなとこにいるからだろ!?」
 2人の言い争いを聞きながら、頬杖をついて、大和がのんきに笑う。
「ひどい交通事故だ。示談に持ち込めそうにないなら、保険屋呼ぶしかないな」
 キッチンでは、三月がコンロの火を止めて、達成感にあふれる声を上げていた。
「はー! 出来た! 疲れた!」
「お疲れ様です。美味しそうですね」
 すっかり目が覚めた一織が、てきぱきと皿を差し出す。笑って頷いた三月が、はっと思い出したように、みなに向かって身を乗り出した。
「そうだ。誰だ、冷凍庫開けっ放しにしたの」
 自然に、視線が環に集まった。
 眠たそうに膝をさすっていた環が、はっとして、憤慨する。
「はああ!? 俺じゃねーよ!」
「ご、ごめん……」
「つい……」
「制服も脱ぎっぱなしだったし、お菓子の袋も捨ててなかったから……」
「それはそうだけどさ!」
 頬を膨らませていた環は、はっとして、三月を質問攻めにした。
「あ……。俺のアイスは? 無事だった?」
「全滅した」
「えー!」
 ぱっちり目を開けて、大声で叫ぶ環を、壮五は不思議そうに見つめていた。
「環くんは食べ物のことになると目が覚めるの早いね。あんなにあんなにあんなに言っても瞼を開けなかったのに」
「そーちゃん、俺のアイスなくなった!」
「そうだね。他のものも溶けちゃって大変だったんだよ。三月さんが全部朝ごはんにしてくれたんだ」
 環は口を曲げて、陸の手首を引き寄せた。110番通報するように、ミトンを口に寄せて訴えかける。
「おまわりさん、俺のアイス溶かした奴に弁償しろつって!」
「犯人わかんないもん!」
「ギブアップの早い警官ですね……」
 一織はテーブルに皿を運びながら、簡単に居直るミトン警察に閉口していた。
 陸はむきになって、一織を振り返る。
「環のアイスが溶けたってことは、オレのアイスも溶けたってことだろ? せっかく昨夜食べようとしたのに……。あれ……?」
 呟きながら、陸の語気はだんだん弱まっていった。心なし、顔が青ざめている。
 みなの視線が陸に集中した。
「食べようとして?」
「食べたの?」
「えっと……」
 陸の手から、環がするりとミトンを引き抜いた。
 自分の手にかぶせて、ミトンの警察を陸の顔につきつける。
「おい……。じはくすれば罪はかるいぞ」
 笑顔を引きつらせながら、陸は素直に告白した。
「食べようとして、冷凍庫開けて、そうだ、紅茶入れようと思って、紅茶だけ部屋に持っていきました……。アイス食べた記憶ないです……」
「おまえかー!」
 どん、と大きな鍋を三月がテーブルに置いた。
 鍋の中には挽肉やら、豚肉やら、きのこやら、ベーコンやら、うどんやら、冷凍していたものが全部入っている。
 腕を組みながら、三月は環に顎で合図した。
「環、確保」
「犯人、逮捕する!!」
「ぎゃあ……っ」
 環に抑えこまれて、陸は笑いながら悲鳴を上げた。環も笑っていた。
 壮五がやんわりと、楽しげな2人を注意する。
「だめだよ。あまりはしゃいだら」
 環ははっとして、申し訳無さそうに、そっと陸から離れた。
 陸はもっと、申し訳無さそうな顔で目を伏せていた。
 ゆっくりと、空の色は白みはじめている。
 鮮やかに光輝いていた月は、もう見えない。
 静かな部屋から笑い声が消え去りそうになった時、ぱちんと箸を置く音が響いた。
 陸の箸を並べながら、一織がわざとらしいくらい、すました顔で告げる。
「罰として、七瀬さんはたくさん食べてくださいね。兄さんのごはんです。美味しいに決まっていますから」
 陸はじっと一織を見つめた。鈍感な陸にもわかった。
 一織は自分が罪悪感を覚えないようにフォローしてくれたのだ。
 明るくなった空が、一織の髪を透かしていた。もうすぐ、鳥たちが歌い始めて、朝陽が昇ってくる。
 一織の横顔に向かって、陸は微笑んだ。
「ありがとう」
 部屋の空気が柔らかくなって、みなが笑いながら席につく。
 どうでもいい振りをしながら、一織は少しだけ、陸の笑顔を盗み見た。
 陸はありがとうを伝えることが、とても上手だった。彼の嬉しさや感謝は素直に伝わって、見るものの頬を綻ばせるのだ。
 ありがとうを言う機会が多いほど、人は奉仕や愛情に慣れてしまう。いつのまにか、ありがとうもただの社交辞令になる。
 だけど、陸は毎回、ありがとうと告げる相手に、新鮮な喜びと満足感を与えた。
 彼を救ったヒーローの気分になれるような。
 暗闇の空に、明るい月を見つけたような。いいことをした自分が、少し好きになれる、そんな魔法をくれる。
「じゃあ、アイスはお兄さんが奢ってやる」
「やった!」
 大和の言葉に環が歓声を上げる。つられて陸も笑っていたから、一織はほっとした。
 腕まくりをしながら、三月が鍋におたまを入れる。
「気合入れてちゃっちゃと食えよ。肉が多くて重いけど、さっぱり塩味だから」
「OH! オムレツもゴージャスです」
「少しタバスコ入れすぎたかもしれないけど、味見したら美味しかったよ」
 箸と皿をまわしあって、全員の食事の準備が整った。
 不慮の事故が生み出した風変わりな鍋の湯気の向こう、朝日と大事な人達の笑顔が見える。
 両手を合わせて、礼儀正しく、大和が言った。
「いただきます」
 いただきますと、みなの声が揃う。幸福はたぶん、そんなところにある。
 

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