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owariya 1975 · @srbigote

13th Oct 2016 from TwitLonger

★『殉愛』★問題を追求しているフォロワーの皆様へ - 自己紹介を兼ねて… 

最近突然現れて偉そうにしているこの人物は何者かと疑念をお持ちの方も多いと自覚していますので、頼まれもしないのに自己紹介というか、私と『殉愛』問題いやもはや"事件"とのかかわりを書いておきたいと思います。基本的には市井の徒(おじん)の与太話です。

まず"人物"については私のプロフィールをご覧になってください。ズラズラ興味のあることを並べていますが、1975-1979まで名古屋市昭和区でジャズ喫茶を経営していました。でも私は名古屋人ではありません。広い意味での関西人です。広い意味というのはコテコテの大阪人などではないという意味です。和歌山生まれの及川眠子さんも関西人のくくりですよね。そういう意味です。

さて、じゃあお前は何歳なんだと質問されれば、故やしきたかじんとこれも先日亡くなった上岡龍太郎の愛弟子(大空)テントとの間に挟まれた年齢です。いくつなんだって? まあまあ、私は三人兄弟の長男ですが、1956年生まれの百田尚樹は一番下の弟と同い年です。で、あまり登場させたくなかったのですが、1950年生まれの幻冬社社長、見城徹と私は同学年なんです。私の方が数ヶ月年上ですが。(そんなところで威張りん坊してどうする(笑))

なぜそんなことを延々と書いているのかというと、たかじん、見城、百田などと戦後〜高度経済成長期を同じ空気を吸って生きてきたので皮膚感覚的にやりくちが分かるというのか、空気感というのかそんなものが若いみなさんより読める気がするからです。あ、一元的な世代論に終始するつもりはありませんからね。そこんとこよろしく。(笑)

感覚的に言うと、6歳下の百田尚樹はガキです。「かぐや姫」から見ています。アホなガキやなと。なので、西岡研介さんや及川眠子さんや水道橋博士(以下博士)は私から見たら若者の範疇なんです。(笑) もちろんどこに出しても恥ずかしくない立派な大人の常識人の方々なのは言うまでもありませんが。あ、博士はちょっと違うかな。(笑)

博士の名前が出たので少し脱線します。私は博士を誤解していました。いつからというとたかじんのいない「Noマネー」に橋下徹が出演した時、突如椅子を蹴って番組を降板して以来です。(私は生前のたかじんの番組はすべて観ていました
。)目立ちたいためのスタンドプレーだなと直感しました。なぜって、降板したいのなら番組終了後に申し出ればいいだけじゃないですか。やっと理由が分かったのは、先日の「しくじり先生」を観てからです。それから博士の『殉愛』問題に関する発言、百田尚樹への質問状などに注目するようになりました。ここまで長い時間がかかりました。(笑)

私がやしきたかじんのファンというか親近感を抱いたのは、年齢が1歳しか違わないことももちろんありますが、たかじんが桃山学院大学を中退して翌年京都の龍谷大学に入学した時、私も京都の某大学に入ったからです。1浪のたかじんと現役の私は1969年には同じ京都の空の下でピカピカの1回生だったんです。(京都では1年生ではなく1回生と言っていました。)
もちろんそれからも面識はありませんよ。いや、あったかもしれないという出来事はありましたがもはや検証できません。
今から15年前に買った、たかじんの2枚組CDは現在でも私の宝物です。

私ががたかじんに魅かれたのはーー私のプロフィールを思い出していただけると幸いなんですが、ジャンルは違えど音楽と関西、上方芸人への興味だったと回顧しています。私事(全部わたくしごとなんですけど(笑))を言わせていただくと、落語家ではただひとり故桂米朝師匠にだけ「師匠」の敬称を付けて呼んでいます。あとは古今亭志ん生でも桂春団時でも継承略です。理由はわかりません。米朝師匠に対する尊敬が特別なんでしょうかね。師の落語全集はもとより書かれたものも「上方落語ノート」以来すべて持っています。たかじんは番組で憧れの米朝師匠と対談していました。羨ましかったです。(笑) 漫才は……もういいですか。(笑)でも長文ついでに書くと、ダイマル・ラケット、いとし・こいしを就寝前に週に1度は聞いています。彼らの研ぎ澄まされた話術は何回聞いても飽きません。古いやつだと笑ってください。(笑)
あ、もちろんたかじんの歌のうまさときれいな声にも魅せられましたよ。

だんだん収集が付かなくなってきましたが、つぎは及川眠子さんについて書いておきます。百田尚樹は自書で引用したたかじんの「エゴイスト」の作詞者を知らず、「売名作詞者が…」云々と宣(のたも)うたのはご承知のとおりですが、そんな無知蒙昧の百田とは違い、私は四半世紀も前から彼女の名前を存知あげていました。偶然なんですけどね。

私には二人の娘がいるのですが、姉が中1か小学校高学年のころ、お小遣いを貯めてアイドルグループ「CoCo」のファンクラブに入ってたんですね。姉のほうだけだったかもしれませんが妹も一緒に会報とかを見ていました。
キャンデーズやピンクレディは知っていましたが、ジャズしか聴かなかった私はそんなグループには無頓着でした。ところが、毎週日曜日の午後6時に放送されていたCoCoが出演する音楽番組を、娘たちにつきあって視聴するうちに、あれ?この歌のタイトルや詩は面白いなと感じるようになりました、テロッップには作詞及川眠子と出ています。ペンネームだけど印象的な名前だなと感じたのを覚えています。読み方が分からなかったので頭の中で「おいかわねむこ」と翻訳していました。だからわたしにはいまでも「ねこ」さんじゃなくて「ねむこ」さんなんです。(笑)

感心したタイトルというのは、「半分不思議」とか「夢だけ見てる」とか。そんなタイトルの曲はそれまで見たことがありませんでした。娘たちはテレビに合わせて歌いながら踊っていました。私はそれを眺めながらビールを飲むのを楽しみにしていました。CoCoとしての最後の曲になるのでしょうか「恋のジャンクション」はツイストでしたね。番組がなくなるのを娘たちはとても残念がっていました。当時のVHSやCDは今でも家にあります。
その数年後に「夢の印税生活者」の著者があの及川眠子だと知って即購入しました。「破婚」を読んだ時にも何年かぶりで読み返しましたが、すでにトルコに家を買ったと書かれていてニヤっとしました。
その眠子さんが真っ先に『殉愛』への疑問を投げかけてくれたのは、旧友の快挙のように感じました。長くなりましたがここまでが眠子さんと我が家との顛末です。

西岡研介さんについては、京都の闇やらヤクザ関係も好物なので以前から著書を拝読していました。西岡さんもこられた大阪地裁でおこなわれたたかじんの弟子の打越さんの裁判では、電車を乗り継いで傍聴に駆けつけましたが、くじ運のなさから傍聴券の抽選にはずれました。寒くはないけど小雨の降る日だったと記憶しています。
私の西岡さんに対する印象は、昔も今も威勢のいい兄ちゃんやなあです。(笑)

さて肝心の『殉愛』について書く時間になりましたが、少々疲れましたので小休止。読んでいただいている皆様もさぞやお疲れのことと推察します。ここらでお茶でもどうぞ。(笑)

ーー インタールード(間奏) ーー

そんな友だち感覚の(思い込みです)たかじんが死んだということが信じられませんでした。しばらく虚脱感に襲われました。面白い親友に先立たれたという思いが一番近かったです。角岡伸彦著「ゆめいらんかねーーやしきたかじん伝」や古川嘉一郎著「たかじんの波瀾万丈」なども買いましたが、(出版の時系列に自信ありません。『殉愛』の後に出されたのかも知れません。) たかじんが亡くなるまでの2年間を書いたノンフィクションという『殉愛』には大いに期待し、Amazonに予約して発売日当日に手に入れました。(出せと言われれば購入履歴もあります。)ところが期待はずれというか、最近眠子さんもおっしゃっていたように、たかじんに対する愛情がまったく感じられない気持ちの悪い本でした。ほんとうに嘘偽りのないノンフィクションなんだろうか? 最初に疑問が生じたのはこのときでした。

そのうちの著者の百田尚樹がAmazonのコメントをディスっているのが目に付きました。これはおかしいと実感しました。
私は持っていた百田の本「永遠の0」や「海賊と呼ばれた男 上下巻」とともにYahooオークションに1円で出しました。酔狂なというか奇特な人がいて1800円ほどで落札されたと記憶しています。そのことをツイッターで書きました。具体的には2年前のツイートを遡らなければなりませんが、「疫病神のような本を年内に処分できてよかった。これで清々しい正月を迎えることができる」みたいな内容だったと記憶しています。

驚いたのはそうツイートした途端、著者の百田尚樹からブロックされたことです。前述のように『殉愛』以前から彼の本を読んでいましたから(詳しい感想はあえて書きませが、退屈な本ばかりでした。私も下手な小説を書いていた時期があるのでわかります。)これにはショックでした。先日調べたら現在私はツイッターを始めて7年5ヶ月だそうです。ということは2年前だと5年目です。それまで、フォローしている相手からブロックなどされた経験など金輪際ありませんでしたから。さらに疑惑は深まりました。私もそのとき初めて相手をブロックしました。よって、百田のその後のツイートは一切ダイレクトには入ってこなくなりましたが、ご存知のようにネットには溢れだしました。

以来私なりに亡き親友(たかじんのことです(笑))の無念を晴らそうと、「検証」を開始しました。興信所でもないド素人の検証なんて多寡が知れているのは重々承知です。先日ツイートしたメッセージ黒田こと黒田有(たもつ)に関する疑問もそのひとつです。先の裁判で名誉毀損が確定しましたが、いや幻冬社側は上告しているのでまだ確定じゃないか、名誉毀損に馴染まない黒田がたかじんの大阪のマンションを訪れた時期などは、重要なポイントだと考えています。

蛇足ながらご存知ないかたのためにもう一度書いておくと、黒田は元気なやしきたかじんに最後に会った関西芸人です。自身のラジオ番組「それゆけ!メッセンジャー」の2014年1月11日の生放送で「(去年の)12月半ばにマンションにおじゃましたときはピンピンしていて、ワインも飲んでいたし、もうすぐハワイに行くからお前にiPadのスピーカーを買ってきてやろとまで言われたんです。あんなにお元気だったのに今でも信じられない」と語っています。同番組内でアナウンサーの女性(六車さん?)に「たった2週間前のことですもんねえ」と言われて相槌を打っています。あ、正確を期さなければいけませんね。相槌だったのか、とにかくその言葉を否定していません。亡くなるたった2週間前だったのか……。
ところがどこにも嘘のないはずの『殉愛』p.334には黒田が訪れたのは11月14日とされています。時系列に介護日記?が記録されうっかりすると見逃してしまいそうになりますが、真赤な嘘です。たかじんがなくなる僅か2週間前にピンピンしていては都合が悪い人間がいると想像するのは邪推でしょうか?

その後の黒田はこの話を封殺、封印し一切話していません。
関西人ならご存知でしょうが黒田は過去に問題を起こし、長期間テレビから干されていました。仕事を失う芸人の恐ろしさは肝に命じていることでしょう。
そして、たかじんが病気療養中に引き継いだ「Noマネー」のMCに収まり、後には「Noマネー・ブラック」ーーブラック、つまり黒田の黒を冠した番組を任されます。これは何を意味するのでしょうね。MCとして黒田にはたかじんの才能の10分の1もないと考えるのは衆目の一致するところでしょう。(違いますか? そこにひっかりますか? 会ったこともないのにの悪口ですか?)
もちろん歌手じゃないので歌も歌いません。そうそう、詳しい時期と番組名は忘れましたが(2014年の初夏ごろでしょう)、後妻と称する女の手紙が朗読され、その中でも黒田の訪問が11月半ばであったと駄目押しされたと記憶しています。『殉愛』のような時間差のある書籍ではないのに、スタジオにいた黒田は《抗議》どころか《訂正》ひとつしませんでした。しゃべりを生業にする関西芸人がです。私はメッセンジャー黒田は『殉愛』問題のキーパンソンだと考えています。

「検証」はまだまだいっぱいありますが、切りがないのこのあたりで筆をおきます。私の駄文に長時間おつきあいくださって感謝の念しかありません。どうもありがとうございました。

追記 (まだあるんかい!)
本名も名乗らずに好きなことを書きやがって!というお叱り、疑問が生じるのは承知しています。
そもそも私がツイッターを始めたのは、40年前の私のジャズ喫茶「尾張屋」の常連にSNSで再会できたらなあというのが目的でした、だから店アカじゃないんですが(当たり前だ。とっくに閉店しているんだから)、本名で登録しても意味がないからです。客の大半は店名しか知りません。なので、owariya 1975 としています。ローマ字にしているのは漢字の尾張屋の他にその名称も使っていたからです。店の看板もローマ字(英語?)でした。そして、実際に何人かの当時の常連さんと再会することができました。私が毎日のように会話(ツイート)している相手もそうです。
もうひとつの@srbigoteは、私の趣味が語学、特にスペイン語で、フォロワーやフォローを見ていただけるとおわかりのように半数は外国人、それもスペイン語圏の方々だからです。関係ない話ですが、bigoteはスペイン語でムスターシュつまり「髭」。最初のsrは、Sr.でセニョールと読んで英語のMr.に相当します。だからスペイン語話者が私のアカを見たら、髭を生やしたむさ苦しい男だなと瞬時に分かる仕掛けになっています。以上、「卑怯者、名をなのれ」に対する私なりの予防策というか、エクスキューズでした。
今度こそおしまいです。超長文まことに失礼しました。多謝。

※際だたせるために、あえて『殉愛』だけに二重鍵カッコを使用しました。
※基本的に敬称は略しました。

ーー 続きません。ーー

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