【特捜神話の終焉】(飛鳥新社:2010年)第二章「キャッツ事件」(細野裕二・郷原信郎対談)抜粋



【逮捕とは即、有罪を意味する】
郷原 細野さんは害虫駆除会社キャッツの会計監査を行うKPMG日本の代表社員という立場で、決算における粉飾容疑をかけられ、控訴審で懲役二年、執行猶予四年の判決を受けました。現在は最高裁で無罪を主張して闘われています。会計士がご専門の会計を巡って検察と争うというのは、あまり例を見ません。まず、ご自身が逮捕されたときにはどのようにお感じになったかについて聞かせてください。
細野 逮捕された経験のある方はみなさんそうだと思いますが、まずは驚きます。ビックリするんです。その前提として、私には、罪に問われるようなことは一切していないという自信がありました。これは今もそう思っています。それに加えて、一度逮捕されてしまったら、すべてがおしまいだということも分かっていました。つまり、日本の司法では実質的に、「逮捕されたら即、有罪」であるということなんです。相手が警察ではなく、特捜検察であることも、その有罪率を確固たるものにしていました。
郷原 つまり、本来であれば推定無罪のはずが、起訴の前、そして裁判の前から、推定有罪だということですね。
細野 その通りです。社会制度もマスコミ報道も、逮捕とは有罪ということを前提にしていることを、私は自分が取調べを受けるようになって、弁護士から聞いたり、自分で調べいくうちに知りました。人格が破壊されたような、言葉で表すことができないほどの衝撃を受けました。おそらく、三途の川を渡るときの心境はこれに近いのだろうと思います。いつか死んで地獄へ行くとなると、閻魔大王の裁きを受けると言われていますね。そこへいったん行ってしまったら、もうこれでおしまい、何をやってもダメなんだという衝撃があるでしょう。それと同じで、どんなに頑張って無罪を主張しようが、逮捕によって、その後の私の人生はすべて決まってしまっているということを感じました。
郷原 そういった、なかばあきらめにも似た心境で、二一日間の取調べに臨むことになったわけですね。

【取調室で行われているのは検察ストーリーの洗脳】
細野 そうなのですが、あの二一日間について、取調べという言葉を使うことは私は適切ではないと思います。検事は、私の前では何一つ調べてはいませんでしたから。彼らがしていたことは、すでにできあがったストーリーを、私に自白させる強要です。もちろんそれに対しては、「そんなことは、私は言ってないではありませんか」「やっていません」と反論をします。それでも、何度も何度も「いや、君は言ったんだ」と繰り返す。そういうようなことが続きました。私は検事が感情のないロボットで、取調室でそういう仕事をされているとは想像もしていませんでしたね。
郷原 細野さんはもともと、検察に対してはどういったイメージをお持ちだったんでしょう。
細野 そもそも、自分とは関わりのない人達だと思っていました。経済界に生きる人は皆そう思っているのではないでしょうか。検察とは自分とは関係のないところで、しかし、正義感を持って一生懸命やっている人達、特に特捜部について言えば、政治家の贈収賄事件を手がけるところという漠然としたイメージはもっていましたが。
郷原 なるほど。そうすると、そういった関わりのないはずの世界にご自身が引きずり込まれることになるとは思わなかったわけですね。
細野 そうですね。それに、司法試験という大変に難しい国家試験に合格し、弁護士でもなく裁判官でもなく、あえて検察の道を志す人たちは、最も理想と正義感の強い、頭のいい人達だろうと思っていました。そうであってほしいし、そうではなくてはならないという印象を持っていました。しかし、それは幻想であるということがよく分かりました。
郷原 内部にいた私には、細野さんが特捜部の取調べについてそう感じられたのは何となくわかる気がします。細野さんは具体的にはどのあたりに違和感を覚えましたか。
細野 まず、検察には大変しっかりとした、軍隊のような上下関係がありますね。先ほども言いましたが、下士官である取調べ担当の検事は、取調室で事実を解明していくわけではないんです。事件全体の絵を描いている、ストーリーを書いている上層部の人間は別にいるのです。取調べ担当検事は取調べがある程度目途がつくたびに「ちょっと待ってね」と取調べ室を出て、その上層部にお伺いを立てに行っているのでしょう。つまり現場の彼らは、自分が何をやっているのか、全体のなかでどういった役割を担っているのかがよく分かっていないのでしょう。仮に入庁時に、検事としての青雲の志を持っていたとしても、組織の中で認められたければ、そういった仕事の仕方を受け入れていくことにより、当初の志は失うでしょう。そうでなければ、郷原さんのように辞めるんじゃないですか。
郷原 そうなんです。特捜部というところには、普通では考えられない世界があるんです。私特捜部にいたときに辞めようと思ったのも、そういう組織にはついていけないと思ったからです。
細野 郷原さんのお書きになった本は読ませてもらっていますが、正直に申し上げて、最初はなかなか素直に読めませんでした。「自慢っぽいな」と思って読んでいたのです。しかし『検察の正義』(ちくま新書)の中で、取調べに関して、こういうことをおっしゃっている部分があります。「私は、これは人間のやることではないと思いました」と。この一文を目にしてから、私はスーッと読むことができるようになりました。郷原さんは普通の感覚を持った方なんだなと。
郷原 私にしてみれば、なぜ上司や同僚や部下たちが、そういう世界に耐えられるのかが不思議でなりませんでした。今思うと、費やした時間やコストを回収したいということなのかなと思います。すでにその狭い検察の世界で何年もの時間を費やしていて、今さらやり直しがきかないと思っているから、その中で出世していくことしか考えられなくなってしまう。その結果、多くの人の暮らしている世の中からは外れていき、狭くて特異な特捜検察という世界に染まっていくんです。

【検事のテクニックは論理、威嚇、懐柔、ほめ殺し】
細野 検事の取調べは体系立っています。ワーッと大声を出して威嚇してみたり、非常に高圧的な態度を取ったかと思うと、ほめ殺しのようなこともするんですね。この緩急は、人を籠絡させるに当たって、非常に有効だなと感心しました。たとえば「お前はもう十分ひどい目にあったじゃないか」とくるわけです。「こんなことで逮捕されて、お前はもう十分ひどい目にあったじゃないか」と。そしてこう続きます。「我々もこの件では、いろんな人を取調べているけれども、みんな細野先生は立派な先生だと言っている。あなたは偉い人だ。だからもう、そんなに頑張ることないじゃないか」と言うんです。そうすり寄ってきたかと思うと今度は、「特捜は、起訴できると思って逮捕しているのだし、特捜が起訴した以上は一〇〇%有罪になる。最高裁まで行ったとして、何年かかると思っているんだ」とたたみかけてくるわけです。つまり供述調書にサインをして早く釈放された方が得だろう、それしかないだろうと、私の絶望感を増すようなことを言うわけです。
郷原 推定有罪を武器にしているんですね。
細野 そうです、そして「君の房にも、長いこといる人、いるだろう」と言うんですよ。実際、私がいた独房の筋向かいに、理由は知りませんが、主のようにやたらと長く保釈されずに入っている方がいたんです。検事はその人のことを示唆し、「君もこのままだと、ああなるよ」と脅してくるんです。後になって思えば、検事は論理、威嚇、懐柔、ほめ殺しを、バランス良く使い分けていたんですね。
これは検事本人がそう言っていたんですが、特捜に来る前に、神戸で暴力団関係の取調べを担当していたそうです。威嚇に切れ味のある方で、私も最初ビックリしました。大きな声で怒鳴り上げられて、殴られるのではないかというくらい近くまで近づいてくる。取調べを受けている身ではありましたが、警察を呼んでもらいたいと思うほどでした。
郷原 私はそういうテクニックを教わった覚えはありませんが。
細野 検察内で口伝されていくのでしょう。しかし、こういうのには慣れるんです。取調べのパターンと言いますか、展開が予想できるようになるんです。ちょっとたわいのない雑談をして、「ところでね」となると、急に大きな声で怒鳴り上げて、机や壁を「ガン!」とやる。もちろん最初は驚くのですが、こういったある種、単調な脅迫的な取調べ、威嚇的な取調べにはいずれ慣れ、それなりの準備ができます。しかし、ほめ殺しが混ざるとその慣れが効かないのです。これには非常に参りました。

【勾留で揺れ動く心、それでも曲げられない会計の真実】
郷原 しかし細野さんは、そうした取調べのなかでも、一貫して供述調書にサインをされませんでした。たいていの方が、無実であっても取調べの前には屈してしまうなかで、これは大変なことだと思うのですが、この際だからウソでも認めてしまいたいという誘惑にかられたことはありませんでしたか。
細野 ありました。特捜検察を相手には勝てないということが分かっていたからです。ここまで来てしまった以上、否認し続けている限り保釈はされません。今のままでは絶対に拘置所からは出られないのだという圧倒的な事実が一番辛かったですね。
郷原 検事の望むように供述をすれば、その後の自分に不利になったとしても、とりあえずは外へ出られるわけですからね。
細野 取調べの検事に「お前は利口なようで、バカだな」と言われました。彼の言うことは非常に論理的なんです。なぜならば、特捜が逮捕した人間は必ず有罪になるんですから。私が罪を認めようが認めまいが関係ないのです。そうであれば、罪を認めて早く保釈された方がいい。事実、私は拘置所でほぼ毎日泣いていました。もうこのままこうやって否認して頑張っても、ずっとここにいれば廃人になるんじゃないかと思いました。廃人になって無罪を取ったとしても、そんなもの意味がないではないかと、そんなことばっかり、毎日考えているわけですよ。
特に辛かったのは、弁護人の接見ができない土日ですね。連日の取調べのなかでは、「これはもう無理だ。とりあえず供述証書に署名をして、保釈で出してもらって、裁判で戦うしかないだろう」と気持ちが傾くこともありました。
その一方で「でもやっぱりダメだ。事実と違うことを認めてはいけないんだ」と揺り戻しが起こるのです。その繰り返しです。こうなったときに最後の支えになるのが弁護士なんです。「明日の朝、弁護士が来るから、そのときに、『先生、もう無理です』と話そう」と気持ちを固める。それがひとまず明日までの心の支えになるんです。もちろん、弁護士に会って話をすれば、「やはり事実と違うことは認められない」という気持ちが強く湧いてきます。弁護士も状況がよく分かっていました。金曜の接見の時には「細野さん、また土日ですけれども頑張りましょう」と言って、拘置所とかけあって土曜の接見を実現してくれました。弁護士の力は大きいのです。弁護士が毎日来てくれて、非常に励ましてくれたというのは大きな支えでした。
郷原 弁護士の方は、平日は毎日接見されていたんですか。
細野 そうです。毎日です。その当時は、私はそれが当たり前だと思っていましたが、その後、刑事事件の一般的な接見状況を知り、そうでもないことも分かりました。考えてみれば接見時間はわずか三〇分間でも毎日、小菅の拘置所まで通う弁護士の立場となったら、それだけで半日つぶれます。私は弁護士に恵まれていました。勾留期間の二一日間、供述調書に署名をしなかったのは、私に人並み外れた精神力があったからではないんです。
郷原 では、ひょっとしたら、たとえば弁護士が接見に来なかったり、検事がさらに揺さぶるようなことをしていたら細野さんは供述調書に署名をしていたかもしれない。
細野 そうです。取調べの検事は分かっていなかったでしょうが、実は私の完全否認は髪一重だったのです。さきほど土日が危なかったという話をしましたが、勾留満期の前日もそうでした。弁護士から聞かされていましたけれど、完全否認をする人ほど、勾留満期前日が一番危ないそうです。実際、拘留満期前日の夜は動揺しました。
郷原 供述調書にサインをして、自分で保釈の日を決められるチャンスは、もう、そこしかないわけですからね。それを逃すと否認のまま起訴後の勾留が続く。
細野 そうです。そのチャンスを、私は否認を貫くという自らの意志で捨てることになるわけですから。
郷原 検事はそこで「これが最後のチャンスだぞ」迫るわけだ。
細野 しかし、そのときの取調べ担当検事は追い込みが下手でした。年が若かったせいもあったのかもしれないですが、非常に幼くて。「僕の心の扉はいつでも開いている」などと言うようなことを言っていました。私はそれにも助けられました。その点も、取調べ検事に恵まれたと言いますか、運が良かったですね。

【公認会計士と会計に無理解な検事の攻防】
郷原 しかし、調書にはとりあえず署名して保釈を選び、後に裁判でひっくり返せばいいと思ったことはないんですか。最終的に、そうしなかった最大の理由は何ですか。二一日間の勾留に耐え、その後の一九〇日間の独房生活に立ち向かわせた理由はどこにあるんでしょう。
細野 いろいろあるんですけれど、やはり争点が私の専門である会計だったからです。
細野 私にかけられた容疑は、私どもの監査法人が担当していたキャッツという会社の粉飾決算をキャッツの役員ちと共謀したというものでした。つまり、粉飾決算があったことが前提になった共謀ということです。その決算にお墨付きを与えたのは誰かと言えば、それは私どもの監査法人で、私はその責任者です。だから私にも、検察に負けないくらいの大前提がありました。この決算は粉飾ではないという前提です。
郷原 有価証券報告書に掲載した決算に間違いはないという自信があったのですね。
細野 もちろんそうです。私は監査法人の責任者であり、キャッツの経営上の相談に乗るクライナトパートナーでもありました。実際の監査業務は別の人間が担当し、私は直接タッチしてはいないのですが公認会計士として、会計において検事に理論で負けることはありえません。キャッツの役員との共謀もなかったのですが、仮に共謀があったとしても、正しい決算で共謀していたのであれば犯罪にはなりません。適正な決算を経営者と私が共謀していたのであれば、立派なことではありませんか。
郷原 そうですね。だから、共謀があったかどうかという話の前に、決算は粉飾ではなかったということを主張しているんですね。
細野 そうです。決算書についての話を私は何度も何度も検事の方にしました。しかし、どうも理解をしていないという印象がありました。何度、会計処理は適正であると説明しても根拠なく否定されましたね。
郷原 そうでしょうね。まず検事は決算書が読めません。司法試験にも出ませんしね。しかし、検事には僅かな時間ですが簿記会計についての研修は実はあるんです。検事一般研修というのですが、私は確か検事三年目ぐらいの時に受講しました。
細野 そういうものがあるんですか。
郷原 ええ。あるんですよ。会計学の先生に来ていただいて、簿記会計の講義を受けるんです。私はそれがとてもよく分かったんです。
細野 郷原さんは理学部の出身だから、検事としては特別に数字に詳しいんですよ。
郷原 帳簿の読み方について大きな事件を一緒に捜査をしていた警察官の人達にもレクチャーをしたくらいです。しかし、検事にはそれが分からない、まったく理解できない人もいる。簿記会計というレベルではなく、算数のレベルです。『検察の正義』(ちくま新書)にも書いたとおりで、担保評価における「評価割れ」「時価割れ」という数字の意味がどうしてもわからない、つまり割り算ができないんです。そういう人達に限って、さきほど指摘がありました通り、最初に作り上げたストーリーに沿って無理矢理、自白を取ろうとする。
細野 とにかく粉飾ありきの一辺倒でしたからね。ですから、私のために用意された供述調書にはほとんど共謀のことしか書かれていません。粉飾は当然の大前提だったわけです。ひとまず共謀は認めて、後で決算が粉飾ではなかったと証明すればいいかなと思ったこともありました。
郷原 しかしそうやって葛藤されているなかで、細野さんが当時お勤めだった監査法人に迷惑がかかるということもお考えになったのではないですか。その監査法人のために、自分一人がたとえ犯していない罪でも、かぶろうというような意識はありませんでしたか。
細野 ありましたね。私はピート・マーウィック(現KPMG)という外資系のファームに入って、そのピート・マーウィックが日本法人になり、事件当時はあずさ監査法人に帰属していました。帰属法人はいろいろと変わったんですが、ピート・マーウィックという同じ組織でずっとやってきましたし、その中で代表者ということでやってましたんで、自分がピート・マーウィックなんだと。そういう思い上がりも持っていました。
郷原 否認を続けていると、監査法人がつぶれてしまうというようなことは言われませんでしたか。
細野 ありました。さきほど紹介した、暴力団担当後に私の取調べにあたった検事は面白いことを言っていました。「ヤクザの世界では、勾留折り返しまで否認すると男になれる」と。二一日間の勾留期間中、完全に否認をするのは無理でも、勾留折り返し、つまり一一日目まで否認を貫くと、「あいつは男だ」と評価されるんだそうです。ところが、ある時、絶対認めない、男の中の男のような人物がいたそうです。私の取調べ検事は仕方ないから、そいつの組を徹底してやってやったそうで、男の中の男である彼がようやく罪を認めた頃には、組がつぶれていたということです。暗に私の監査法人もそうなると言ってくるわけです。
郷原 実際に、そうなるかもしれないと思いましたか。
細野 それは思わなかったです。その時はすでに取調べ検事のやり口というか展開が、私は読めるようになっていたので……「これは威嚇だな」と感じていました。

【中略】

郷原 検察は会計を分かっていないということが問題の根幹にあるということです。
細野 会計が分からないだけではありません。検察官は彼らのストーリーに合致しない私のアリバイも認めようとはしません。
【アリバイを立証しても有罪という不思議】
郷原 アリバイとはどんなものですか。
細野 検察は、検察が主張する「粉飾決算」のスタートとなった六〇億円の海外送金を行う謀議が二〇〇二年の二月一五日に行われ、私がその会議を主導したとしました。これは私より前、または同時に逮捕、起訴された経営陣や関係者の事実とは異なる証言や押収した資料から、そのようなストーリーを作ったのだと思います。彼らは保釈や執行猶予、不起訴といった目の前の利益を得たいがために、そのストーリーどおりの嘘の供述調書に署名し、一審でも、そのとおりに証言をしていました。
郷原 そういうことはままあります。共犯者が身柄拘束されていると、早く出たいということで、検察のストーリーどおりの虚偽の証言をするということは、よくあることです。
細野 しかし、その共謀があったとする二月一五日、私は日本にいないのです。パスポートを見れば一目瞭然です。
郷原 海外にいたというアリバイの主張が捜査段階で出ていなかったので、パスポートの確認をしなかったんでしょうね。

【共謀がないことを反証する難しさ】
細野 私はプロとしてお受けした仕事はどんな仕事でも命がけでいたします。そう教えられてきたのです。いろんな人に、「あなたはキャッツに思い入れが激しい。経営者みたいだ」と言われました。しかし、私の愛情は別にキャッツに対してだけじゃありません。私は国内で七社を上場させました。七社すべてに私は一生懸命です。会社が上場するというのは大変なことです。それまでは勝手気ままに育ててきた会社を、市場のルールに当てはめて行かなくてはなりません。すべての案件で、私は親身になってやりました。私はそれこそがあるべき公認会計士の姿だと思っています。生ある限りそうなのです。
ところがこういう事件になって、検察の主張する粉飾を前提として事件を見ると、私が一生懸命やっている限りは、どんな反証を出しても共謀と言われてしまうんです。東京高裁は提出した反証や、あまたの逆転証言の続出に何ら言及することなく、一審判決は支持できるとして私の控訴を棄却しました。
郷原 それは裁判所にも問題があるんです。裁判官は、検事のとった自白調書が正しいことを前提に物事を考えるのです。検察の捜査のストーリーを否定するということは基本的に考えないのです。地裁や高裁では、せいぜい裁判官三人の合議体ですから、検察が組織として意思決定していることを覆す度胸はないんです。検察に対抗する力があるとすると最高裁だけですね。
細野さんとライブドア事件の堀江さんの共通点は、逮捕された他の人の証言によって有罪になっていることです。これは経済事件に共通するやり方です。細かいことを言い出せばいろいろとあるわけですが、検察はものすごく大雑把に、何人かがつるんで悪いことをやっていたと考える。そしてそれぞれの証言が一致しなかった場合、自分たちの描いたストーリーに近いものから採用していく。
細野 その考え方に基づくと、私が中心人物となって会計を指導してきたということになるんですね。しかし、大雑把にではなく、緻密に物事を見ていくと、検察の主張は破綻しています。たとえば、共謀のために会議が行われていたと言うのですが、その場には、私がいなかったり、共謀する相手がいなかったりするんです。それを私はおのおのの手帳や、参加者の弁当を取り寄せた記録などから立証しました。しかし、それでも認められませんでした。私にしてみれば、自白もしていないし、動機もないし、あるのはアリバイだけです。しかしそこを立証すると、今度は、仮に日程が合わなくても、共謀は出来るんだという話になるんです。順次共謀というものです。
郷原 つまりAとBが共謀し、BとCが共謀していれば、AとCとの間にも共謀があるというのが順次共謀です。
細野 ええ、そのようですね。どれだけ私が証拠を集めて、無実を立証してもいったん、検察が有罪と決めれば、粉飾がある限りいくらでも共謀にすることはできてしまうのです。けれども、何度も言っていますようにこの事件ではそもそも粉飾決算などないのです。会計は正しいのですから。
一審の有罪判決を受けて、控訴審ではアリバイも出したし、一度は私に不利な証言をした関係者からの逆転証言も続出しました。しかも、一審でのキャッツ経営陣の証言は検察ストーリーどおりの証言ができるようにと、検事の指導のもと四〇回も五〇回も綿密なリハーサルをしていたことが記録された手帳も出てきました。このリハーサルでは検察ストーリーを丸暗記させ、「てにをは」一つ間違えてもすべて最初からやり直しをさせるというものです。弁護側の反対尋問も検事が想定問答を作り、これまたその模範回答を丸暗記させています。異常なことではないですか。本当のことを言うためであれば、こんなにリハーサルは不要です。
上告中の最高裁では共謀の有無ではなく、有価証券報告書、会計は間違っていないということを強く主張しています。

【一部同意調書によって強引に作られる有罪判決】
郷原 細野さんの事件は最初から何かいろんな共謀の経過だとか、こういう動機があったとか、こういう風なことを言ったとか、いろいろ画策した、というような検察のストーリーがあって、大手監査法人の代表社員である公認会計士を粉飾決算で逮捕するんだという前提で始めたはずなんです。しかし、最終的に裁判所は、細野さんが保釈をもらうために同意した一部同意調書だけで共謀を認めたのです。そこで認めた事実というのは、何が悪いのかわからない、共謀がギリギリ認められるという程度です。その程度の事実が最初から前提にされていたら、それで細野さんを逮捕するかって言ったら、どう考えても、しないと思います。しかし、でも逮捕して起訴してしまったら、なりふり構わず有罪にするしかない。結局、検察が当初予定していた事実とはおおよそ異なった事実で有罪にされてしまったということだと思います。
 あの程度の立証では、粉飾決算の共謀に公認会計士が共謀したというレベルに実質的に達しているかといったら、全然達してないんです。達してないんだけども、結論的に有罪か無罪かってところを裁判所が判断すると、検察の負けにはしないということです。
細野 その一部同意調書についてお話しますと、私は起訴後も未決勾留で一九〇日間勾留されていました。保釈を申請する際に、「裁判所から保釈を認可するため、今のように供述を全部不同意にするんじゃなくて、関係者の人間の調書のどこか認められるところを少しでもいいんで認めてくれと言われている」と弁護士が言うんです。それで私は、内容に問題のないところについては、第何行、第何行という形で、部分的に同意することにし、具体的には弁護士に任せました。これによって釈放はされましたが、皮肉なことにその一部同意調書によって有罪判決を背負うことになりました。
郷原 これは刑事訴訟法的には大問題です。裁判官出身の法科大学院の教授と話したんですが、一部同意調書だけで有罪を認定するのは、刑事訴訟法の考え方から言っても、基本理念から言っても、非常に問題だと言っていました。私は最高裁でこの問題がどう扱われるか大変興味を持って見守っています。
細野さんの事件については、東京高裁の三人による裁判官の裁判部では、検察が組織として意思決定してきているような問題に対して、正面から異を唱えるような判断を下すことは、結局怖くて出来ない。だから、一部同意の調書だけで、カツカツの共謀を認定して逃げてしまった。結局、最高裁が、最後の法の番人として、判断をどう下すか、という問題なんじゃないかと、私は思っているんです。
細野 僕は裁判を受けた気がしないんですよ。私の弁護士が認めた一部同意調書だけで有罪判決が出るのなら、長い期間、裁判を行う意味はありません。裁判の前にすでに判決が決まっているのですから。控訴審では一審で認定された有罪の事実認定をすべて、基本的に検察官のストーリーのすべてに反証したけれども、それでも有罪だっていうんですよね。なぜかと言うと、保釈の条件でキャッツの大友社長たちの調書に一部同意しているからなんだと。しかも、その同意部分に弁護人の反対尋問が十分なされていないと言うのです。それは何か私の有罪・無罪と関係あります? 
郷原 完全に、憲法上の裁判を受ける権利、人権を害されている。一部同意の調書に対して反対尋問権も侵害されている。細野さんの裁判っていうのは、完全に憲法問題なんです。

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